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2017年07月08日23:28

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(84)

77年9月2日、愛知県体育館では猪木のNWFヘビー級王座にスタン・ハンセンが初挑戦。

この日のワールドプロレスリング生中継より、テレビ朝日の前身であるNETが69年7月2日に同番組をスタートさせてからレギュラー解説を務めていた遠藤幸吉氏が勇退。レギュラー解説者は桜井さん1人となりました。

解説者桜井さん1人体制は79年3月2日、津市体育館(1日収録)から山本小鉄が加わるまで1年半続きました。

ハンセンのNWF王座挑戦は当時の新日本からすると抜擢と言って良かったですが、新しいトップ外国人の発掘が急務だった新日本にとっては大きな試金石でした。

試合はハンセンが「ブレーキの壊れたダンプカー」と言われたブルファイトで猪木を圧倒していきました。

場外乱闘の際、ハンセンのセコンドについていたブラックジャック・マリガンが加担。猪木に手を出してハンセンめがけ猪木の身体を振ると、ハンセンは場外でのウエスタン・ラリアット。レフェリーのミスター高橋は見ていません。

場外でダウンしている猪木を尻目にハンセンはリングイン、カウントが数えられて猪木のリングアウト負けが宣告されてしまい、一度はハンセンの勝利が告げられました。

しかし、リング下にいたサブレフェリーの田中米太郎、柴田勝久がアピール、マリガンのインターフェアがあったことをアピール、判定は覆り試合再開。

猪木はハンセンのウエスタン・ラリアットをかわすとバックドロップから体固め。試合は予想外のロングマッチとなり25分13秒、10度目の防衛を果たしています。

試合を作っていたのは猪木でハンセンのこの時点での凄味を引き出した上での勝利でしたが、当時のプロレス誌の「読者のリング」では「ハンセンごときに苦戦するとは猪木も弱くなった。あれでは全日本系の外国人選手とはまともに戦えない」という風潮でした。

さて、この先の8月2日、日本武道館大会から公式に初使用されたモハメド・アリから贈られた(とされる)猪木の入場テーマ曲「炎のファイター」は9月9日に東芝EMIからシングルレコードが発売されました。

早速購入してプレイヤーに針を落としたところ…

途中で「アリ、ブマイエ!」のチャントが入っていて非常にがっかりさせられた記憶があります。

元々アリの自伝映画「アリ・ザ・グレイテスト」のサントラ盤からシングルカットされた「ALI-BOM-BA-YE」のPART1ですが(B面はPART2)それがそのまま入っていて猪木のテーマというよりアリのテーマでした。

「アリ、ブマイエ!」のチャント音源は、同映画に出てくるドキュメントのシーンで、ジョー・フレイジャーに敗れ世界ヘビー級王座から転落。

さらにケン・ノートンに顎の骨を折られて負け、もはや再起不能と言われたアリが、74年10月30日、アフリカのザイール共和国キンシャサで最強と言われた王者ジョージ・フォアマンに挑戦、8ラウンドKO勝ちで王座返り咲きを果たしました。

いわゆる「キンシャサの奇跡」と言われた王座移動劇でしたが、キンシャサ入りしたアリを見た現地のアリ支持者の住民から「アリ、ブマイエ!」(アリ、やっちまえ!の意)の大合唱が巻き起こったシーンをそのまま音入れしていてスタジオ録音ではないです。

WWEスーパースターで活躍中の中邑真輔が「一周回って」膝蹴りを「ボマイェ」と命名し、WWEに移籍してからは権利関係から「キンシャサ」に変更する大元のネタはここにあった訳です。
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