77年2月2日、大阪府立体育会館は福岡での試合で強烈なインパクトを残した上田馬之助のヒール人気が爆発し9000人発表(超満員)の観客を動員。
ヒール人気と言っても愛されるヒールではなく本当に観客の憎しみを買っていたことは言うまでもありません。
セミファイナルは猪木がスタン・ハンセンとのテレビ復帰マッチ。(45分1本勝負)
体重を乗せたパンチ、キック、エルボーバットを猪木の後頭部に叩き付けていくハンセン。
早くも首を押さえてダウンする猪木。やはり首へのダメージが懸念されるか…。それでも猪木はドロップキックで反撃。
この日は桜井さんがワールドプロレスリングの解説に登場。
桜井さん「首が痛くない訳はないんですがねぇ、猪木君はそれを思わせない動きを見せてますねぇ」
ハンセンは猪木をロープに飛ばしてウエスタン・ラリアット。しかしこれを猪木はかわしてバックに回るとバックドロップ。
カウント3が入り、12分49秒、体固めで猪木のフォール勝ち。3カウントが入った瞬間、ハンセンは猪木のカバーを大きく返しましたが、猪木はレフェリーに3カウント入ったことを確認して勝利の「ダーッ!」の雄叫び。
この時期はまだ両腕を上げていました。
ハンセンは今シリーズ初のフォール負けとなりました。3カウントで大きく返したことで完敗ではないことをアピール、次回に繋がる闘いとなることを示唆しました。
この後、このシリーズ猪木とハンセンはノーテレビの2月6日、岩手・久慈市民体育館と2月9日、横浜文化体育館と2回対戦し久慈が11分7秒、横浜が9分58秒、いずれも逆さ押さえ込みで猪木が勝利。
このシリーズで5回シングルマッチを闘って猪木が5勝(うち2反則勝ち)となりました。
メインイベントは坂口、ストロング小林組vsタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組の北米タッグ選手権試合の再戦。
上田は1月14日、福岡九電記念体育館以降は試合には出ておらず、スポット参戦で「溜め」を作りました。
その効果はテキメンで超満員の集客に繋がった訳です。
1本目、またもS小林が捕まり、シン、上田に負傷した左腕を痛めつけられました。S小林の左腕には白いサポーターが巻かれていました。
シンがS小林にキーロック、我慢したS小林でしたがついに堪えきれず、17分2秒、ギブアップ。シン、上田組が1本目を先制。
試合はシン、上田のワンサイドゲームとなり2本目も引き続きS小林が腕を攻められ続ける展開になりました。制止に入ったレフェリーにシン、上田が暴行を加え3分32秒、日本組の反則勝ち。
2本目でさらにダメージを受けたS小林はダウンしたまま起き上がれず、痛みで失神したかピクリとも動かなくなりました。
山本小鉄がリングに上がり、「起きろ!」とばかり気合いの張り手をS小林に浴びせましたが失神したままで立ち上がる気配なし。
3本目はS小林の試合放棄となり2-1でシン、上田組が勝利。ベルトが移動しました。
場外でシンと上田はベルトをかざして両手を上げて勝利のアピール。観客席からは凄まじい野次と怒号が起きています。
「汚いことばかりしやがって!上田、貴様それでも日本人か!」
かつて日本プロレス時代、地味な中堅だった上田はアメリカ修行時代はプロフェッサー・イトウというリングネームでテネシー州でヒールとして活躍していました。
しかし、最初の頃は典型的なストーンフェイス(石のでように無表情)であった上田はプロモーターのニック・グラスや日系人ヒールとしてテネシーを牛耳っていたトージョー・ヤマモト(PYチャン)らに「表情がわかりづらい、痛そうな顔をしろ!」と注文をつけられ、鏡の前で懸命に表情を作る練習をしていました。
日本に帰国後、上田はマッチメーカーをしていた吉村道明に「日本人のヒールってのはどうでしょう」と打診したことがあります。
吉村は「そんなのは売れないし、家族が大変な思いするぞ」と却下したそうです。
フリーとなって上田の思いがようやく開花したという訳です。
北米タッグ王座のベルトを失った坂口は「こうなったら、自分が上田を倒す」と上田迎撃に名乗りを上げ、シリーズ最終戦の2月10日、日本武道館では猪木とシンのNWFヘビー級選手権試合に加え、坂口vs上田の一騎討ちが追加発表されています。
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