猪木の日本プロレス入門からアメリカ武者修行については空港に着いて出迎えがなかったこと、グレイハウンドの長距離バスに乗り、今日はテキサス、明日はテネシーと闘いの旅を続けた、と割と簡単にまとめられています。
豊登による太平洋上猪木略奪事件から東京プロレス旗揚げ、東京プロレス崩壊から日本プロレス復帰のエピソードに関しては黒歴史か収録時間の関係か触れられておらず。
舟橋アナ「アメリカから帰国してからの猪木は、アジア・タッグ選手権、インターナショナル・タッグ選手権、ユナイテッド・ナショナル選手権と数々のタイトルを獲得、中でも昭和44年、第11回ワールド・リーグ戦での優勝は、ライバルであるジャイアント馬場との優勝争いを制し、馬場時代から猪木時代への幕開けとなった闘いだった」
正確には日本プロレスには「猪木時代」というものは存在しておらず、猪木は常にナンバー2として馬場の後を追う日々が続き、「馬場、猪木BI砲並立時代」という表現が適切ではないかと思われます。
続いて猪木のプロレスラー生活に大きな影響を与えたカール・ゴッチ教室への「入門」の話です。
67年に日本プロレスがゴッチをコーチとして呼んだ「ゴッチ教室」は若手の基礎体力向上が当初の目的であった訳ですが、メインイベンターである猪木が参加したことで日本版「蛇の穴」的な書かれ方をしており、伝説化した書き方をしている文献は多数存在します。
猪木「『プロレスとは、こうなんだ!』ということを教えてくれたのは、やはり(カール)ゴッチで、ゴッチに出会っていなかったら、私のプロレスに対する考え方も違っていたものになっていたかも知れないですね。」
「私はコブラツイストを決め技として使っていたんですが、『もっと強力な技はないものか』ということで2人で編み出したのが卍固めという技なんです。」
馬場がコブラツイストを使い始めたことは猪木にも脅威でした。自分よりも大きな209cmの長身の馬場がその巨体を絡みつけるコブラは説得力抜群。
そこで猪木は卍固めをフィニッシュホールドとして体得、本アルバムでは触れられていませんが、桜井さんは猪木の卍固めをヨーロッパのカンバーランドスタイルのレスリングに古くから存在する技で、ゴッチがこれを発掘し猪木に伝授した、と定義付けています。
ここで、猪木の師匠カール・ゴッチが登場、お馴染みの「ライフイズ・ムーブメント、ムーブメントイズ・ライフ」の台詞からスタート。ゴッチの英語に舟橋アナが訳を被せました。
「人生とは、動き続けることであり、動き続けることが人生だ。若者は身体を鍛練すべきであり、年寄りは身体を鍛練せねばならない」
「私は猪木に、世界の頂点に立つような偉大な王者になった時も『謙虚であれ』と望む」
と、まさに猪木の人間性を鋭く指摘するような台詞がさりげなく出て来るから流石神様ゴッチだけのことはあります。
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