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2017年05月16日18:59

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(33)

76年12月、CBSソニーレコードより桜井さん監修による猪木のオリジナルアルバム「燃える闘魂」(LPレコード2枚組4000円、カセット3400円)が発売されました。

ファン時代の高田延彦が「正座して聞いた」と言われるアルバムですが、家庭用ビデオデッキが普及していない時代、この作品のヒットを機に84年位まではプロレスの実況音源入りのアルバムが多数発売されています。

ただ、クオリティの高さにおいてこのアルバムを上回る作品は出て来ておりません。

ナレーションはNETワールドプロレスリング実況の舟橋慶一アナが担当、猪木自身がモノローグにて半生を振り返りながら関連する人物が登場していきます。

アルバムのテーマ曲である「燃える闘魂のテーマ」は炎のファイターとは別物で音楽はクニ河内が担当しています。

一部を再録して改めて桜井さんの監修のレベルの高さを検証していきたいと思います。

生い立ちからのナレーション、本名猪木寛至、父佐次郎、母文子の六男坊として昭和18年2月20日、横浜市鶴見区生麦町で生まれた生粋の「浜っ子」である。

猪木「親父が早く死んじゃって、本当に顔も覚えてないんですけども、お祖父さんの影響力が強くてね。『何でも一番になれ、●食でも何でもいい、人の上に立つような男になれ!』と言われて…」

猪木の毎朝の日課は雑巾がけで昔の百何十坪といった敷地に建てられた家の掃除をしないと学校に行かせてくれない、とのことでした。

小学校は鶴見の東台小学校へ。中学校は寺尾中学校へ進学。身体の大きかった猪木少年に砲丸投げを薦めたのは恩師・加藤先生。

加藤先生「陸上部の顧問として僕はいつも『練習の苦しさに泣いて、試合の勝利に笑え、練習は苦しくても我慢しなきゃダメだぞ!』と口癖のように言っておったのですが、それを率先して実践していたのが寛ちゃんじゃなかったかと思います。」

中学校に入学した猪木に突然、転機は訪れた。一家をあげてのブラジルへの移住である。

ブラジルに向かう船「サントス丸」の中で猪木は最愛の祖父、相良寿郎との別れを経験します。

猪木「パナマ運河を回ったところのクリストバルという町に船が泊まったんですね。そこでバナナを売りに来た人がいてね。船の中での食事なんてロクなもんじゃなかったですから、バナナにみんなとびついたんです。お祖父さんも食べたんですが、バナナの青い部分が良くなかったんでしょう、腸閉塞を起こして僅か3日で死んでしまいました。」

ブラジルでの移民生活は過酷を極めました。住まいに電気がないという劣悪な環境の中、猪木家はコーヒー農園でコーヒー豆を作る作業をしていました。

猪木家の人々は自らのコーヒー農園に「エスペランサ」(希望)と名付けました。後に高田が「青春のエスペランサ」と古舘伊知郎アナに命名されるのもこれが元ネタで、ハッスルのリングで高田総統の闘う化身、ザ・エスペランサーももちろんここから来ています。

コーヒー園で働きながら日本から持ってきた砲丸での練習を欠かさなかった猪木は兄の相良寿一と一緒に全伯の陸上大会で優勝し、現地の新聞に「コロニア(移民)の英雄、全伯陸上大会を制す」と書かれました。

猪木家はコーヒー農園で貯めた資金でサンパウロに家を買い、猪木は日系人の児玉なる人物が経営していた青果市場で運び屋の仕事をしていました。

60年初め、力道山がブラジルに遠征して来ました。猪木兄弟が全伯陸上大会で優勝したことを新聞で見た力道山はを後援していた児玉氏に、「こいつはどこにいるんだ?」と聞いたところ「そいつならウチで働いている」ということで猪木は力道山と対面、プロレス入りが決まりました。

このエピソードに関してはプロレスラーになりたかった猪木が力道山の来伯を知って自分から売り込んだという説もあり、真相は定かでないですが、いずれにしても猪木はプロレスラーの練習生として約3年ぶりに日本へ帰国することになった訳です。
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