83年11月3日私の人生初のハシゴ観戦はまず昼の新日本プロレスから。タイガーマスク「引退」後の初の蔵前国技館大会でしたが、正規軍vs維新軍の4対4綱引きマッチ(当日、両軍による公開綱引きにより組合せが決定)という斬新な企画が受けたか、13000人(超満員)の観客を動員しました。
結果は猪木がこの闘魂シリーズに凱旋帰国した谷津嘉章に延髄斬りからの体固めで勝ち、藤波とキラー・カーンは両者リングアウト。
前田明(日明)は長州のサソリ固めにギブアップはしなかったもののレフェリーストップ負け、坂口はアニマル浜口にフェンスアウトによる反則負けを喫しました。成績は2勝1敗1分で維新軍の勝利。
また、カナダから急遽帰国した謎のアストロノーツ、ザ・コブラがタイガーマスクが返上して行ったNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦をザ・バンピートと行いました。
しかし、バンピートは試合前に自らマスクを脱ぎ、デービーボーイ・スミスであることを明かしました。
試合はコブラが緊張とプレッシャーに押し負けたか、長い手足がマイナスとなり空中殺法を失敗、タイガーマスクロスの観客から支持を得られず、20分38秒、クロスボディからの体固めでスミスを破り王座を獲得しましたが、内容は惨澹たるもので、コブラには気の毒な日本デビュー戦となってしまった訳です。
しかし、ここから僅か1年ちょっとでこの日の興行の柱だった長州、浜口、Kカーン、谷津の維新軍、スミスが全日本へ行ってしまうことなど当時は全く想像もつきませんでした。
新日本の蔵前大会が終わったのが午後5時30過ぎ。国技館から総武線の浅草橋まで歩き、水道橋から後楽園ホールへ。
時間的には午後6時30分試合開始の全日本に余裕で間に合いました。全日本も3000人の満員発表でしたが、空席はありました。
後楽園ホールは2大タイトルマッチが組まれ、メインイベントは馬場、鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座にスタン・ハンセン、ワンマン・ギャング組が挑戦。
試合はギャングが鶴田をウエスタン・ラリアット狙いのハンセンに向けて振りました。鶴田は身体を入れ換えて逆にギャングハンセンに振り、ラリアットはギャングに誤爆。
すかさず鶴田がギャングを押さえ込んで11分42秒、体固めでカウント3が入り、馬場、鶴田組が王座初防衛に成功しています。馬場、鶴田組はこの年、ハンセン、ロン・バス組とタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組に2度の王座転落をしており、年内最後のインターナショナル・タッグタイトル戦が初防衛となってしまいました。試合自体は淡白で呆気ないフィニッシュでした。
セミファイナルは阿修羅・原、マイティ井上組に石川敬士、佐藤昭雄組が挑戦したアジア・タッグ選手権試合。
2年前の81年11月1日、同じ後楽園ホールで同一カードによる同タイトル戦が実現、この時は石川、佐藤組が王者チームで国際プロレスから移籍してきたばかりの原、M井上組が挑戦。60分3本勝負で1-1から両チームリングアウトの引き分けで石川、佐藤組が防衛に成功しました。
石川、佐藤組は抜群の安定感のあるチームでしたがこの83年の2月に佐藤が首の負傷により欠場となりベルトは返上されました。
2月23日、大阪・臨海スポーツセンター(高石市)で王座決定戦が行われ、原、M井上組がグレート小鹿、大熊元司組の極道コンビに反則勝ちで王座獲得、この日まで5度の防衛。
佐藤は3月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�気派�帰し4月14日、大阪府立体育会館で原、M井上組のベルトに挑戦しましたが、まだ本調子ではなく、一度は両チームリングアウトとなったものの、延長戦で井上の回転エビ固めに敗れました。
その後佐藤はコンディションを上げて来て、約7か月ぶりの挑戦。ベテランらしい試合運びで王者チームを翻弄。
佐藤が原に足4の字固め。これはM井上がカット、ここから両チームエキサイトして場外戦となり、石川が原にプランチャ、19分10秒、両チームリングアウトの引き分けで原、M井上組が6度目の防衛を果たしました。
セミ前はこのシリーズ2度目に生で観るマイク・ドゲンドルフが天龍とシングルで対戦。ドゲンドルフは何も出来ず、天龍の顔面をロックするような変型アバラ折りの前に硬い身体をよじられて苦痛に耐えられず、3分46秒でギブアップ負け。2度と呼ばれることはありませんでした。
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