83年10月31日、福島・会津体育館(観衆4800人超満員発表、テレビ収録)では2大タイトルマッチが組まれています。
会津体育館は会津若松市にあり、会津若松市体育館、会津鶴ケ城体育館と時期によって呼び名が変わっていますがずっと同じ体育館です。
ダブルメインイベント第2試合はスタン・ハンセンの保持するPWFヘビー級王座に前王者馬場が挑戦するリターンマッチ。
9月8日、千葉公園体育館での試合では馬場がハンセンのショートレンジからのラリアット一発で呆気なく3カウントが入ってしまい、9分2秒という短時間決着となり、内容的には馬場の「惨敗」といっても過言ではなかったことから、今度同じような負け方をすれば、いよいよ幕引きを迫られるのでは?と懸念されました。
しかし、試合開始のゴングが鳴るや、馬場は軽いフットワークを見せ、ハンセンの動きを止めるや、ラリアット封じのショルダー式アームブリーカー、さらにジャンピング式のアームブリーカーと攻勢に出ました。
ハンセンは馬場の顔面をかきむしって強引にこれを外し、首筋へのエルボーから座った状態の馬場の背中へブーツでキック一閃、エルボードロップ。
馬場の16文キックを受けてハンセンは場外へ。これを追うハンセン、場外でも激しい乱闘となり、リングに戻ったハンセンは椅子を持ち出しました。
レフェリーのジョー樋口が椅子を取り上げようとしたところ、ハンセンは樋口を突き飛ばして馬場の脳天を痛打しようとしましたが、馬場はチョップをハンセンに見舞うと椅子を奪って反撃に出ました。
リング内は収拾がつかなくなり、樋口はゴングを要請、9分43秒、ノーコンテストの裁定が下されました。
先日、83年7月12日、札幌中島体育センターでの馬場vsタイガー・ジェット・シンのPWF戦に続くノーコンテストとなりこれを防衛回数に含めるか否かの件について書いたばかりでしたが、この時はハンセンの初防衛と伝えられています。
次のシリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦ではリターンマッチの組まれる予定はなく、王座奪還に失敗した馬場は2年連続シングル無冠での年越しとなった訳です。
ダブルメインイベント第1試合はNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスにUNヘビー級王者のテッド・デビアスが挑戦。
デビアスは日本ではNWA世界ヘビー級のベルトには初挑戦、デビアスは馬場と日本のファンの期待に応えようと試合開始からレイスの足を執拗に攻撃。
得意の足4の字固めに持ち込もうとステップオーバー・トーホールドの体勢に入りますがレイスは下からのヘッドバットでこれをクリア。
デビアスが何度目かの足4の字固め狙いに来た瞬間、レイスは待ってましたとばかり電光石火の首固め。
18分29秒、カウント3が入りレイスの防衛。終わってみればレイスが余裕寂々での防衛でした。試合運びが地味なデビアスは、ヒールに転向しなければNWA世界王者は難しく思えました。
セミ前は鶴田、天龍の鶴龍コンビがワンマン・ギャング、サイクロン・ニグロ組と対戦、鶴田がニグロをバックドロップからの体固めで破っています。
この日の第2試合には会津限定レスラー、元国際プロレスの米村天心が出場しています。
米村は国際が崩壊した後の81年、吉原功代表による新日本プロレスへの選手移籍方針に反対したマイティ井上と行動を共にし、9月16日に行われた全日本プロレス入団記者会見の席上にはM井上、菅原伸義(アポロ)、冬木弘道と共に姿を現していましたが、結局、入団はせず。
結婚したばかりの夫人が妊娠したことでレスラーを続けるか否か相当悩んだそうですが、夫人の地元である会津若松内にちゃんこ料理店「やぐら太鼓」をオーブンさせました。
米村は会津で試合がある時だけ試合(全日本のみ)に出場、この日は菅原と元国際プロレス同士のタッグを結成し、百田義浩、光雄の百田兄弟と対戦。
光雄が菅原を首固めで破っています。この時授かった長男は八角部屋の力士となりました。(米村も大相撲出身)米村のお店は地元でも繁盛していましたが、昨16年6月20日、70歳で亡くなりました。
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