83年8月26日は後楽園ホール大会(観衆3400人超満員発表、テレビ収録)。テキサスブロンコ、テリー・ファンク最後の聖地後楽園出場とあって、チケットは早々に完売。
私はこの興行は生観戦しています。
メインイベントは8月31日、蔵前国技館でテリー・ファンク引退試合の対戦相手を務めるスタン・ハンセンとテリー・ゴディが初のタッグを結成、鶴田、天龍組の鶴龍コンビと対戦する好カードでした。
ハンセンとテリー・ゴディは紆余曲折を経て88年2月のエキサイト・シリーズから日本で本格的にタッグを結成。翌年ハンセンが天龍との龍艦砲を結成する迄の約1年半、活躍しますが、タッグ結成はこの日が初でした。
試合は天龍がハンセン、テリー・ゴディ組に捕まり、ハンセンが天龍をカナディアン・バックブリーカーの要領で担ぎ上げてテリー・ゴディに渡しました。
テリー・ゴディはハンセンから渡された天龍の身体をそのままリフトアップすると前方に倒れ込み叩きつける荒技。
ガッチリとホールドして体固めに固めました。天龍は後頭部をマットにしたたか打ち付けて失神ししばらく起き上がれずフォール負け。
11分6秒、パワーボムによりハンセン、テリー・ゴディ組が勝利を飾りました。
この技を見たのは初めてであり、戦慄を覚える位の衝撃でした。
後にこの技を食らって惨敗した天龍が悔しさから何とか自分のものにしようとパワーボムをマスターし、完全に自分のフェイバレットホールドにすることになります。
テリー・ゴディのパワーボムは自分の両膝をマットに付けて固める方式ですが、天龍は膝を付けずに固めるやり方で、90年に天龍が全日本を退団しSWSに移籍した後は、天龍同盟にいた川田利明がフィニッシュとして多用、その技と魂は受け継がれました。
セミファイナルは後楽園ラストとなるドリーとテリー・ファンクのザ・ファンクスが登場、ブルーザー・ブロディ、キラー・トーア・カマタ組との対戦。
場外乱闘でカマタは額から大流血、因縁のドリーとブロディが場外でやり合う中、テリー・ファンクがカマタをロープ越しのブレーンバスター。
体勢は低かったですが8分、体固めでテリー・ファンクの勝利。
カマタがメイン、セミクラスのポジションにいたのはこのシリーズ位までで、この後はブランクがあり、87年5月に全日本に来た時には50歳という年齢もあってか、すっかり衰えてしまいました。
セミ前は阿修羅・原とブラッド・レイガンスのシングルマッチ。この試合、原がグラウンドの攻防でレイガンスに全く歯が立たず、動きを封じられ、弧の小さいスロイダー気味のベリー・トゥー・ベリー(フロント)スープレックスでフォール負けを喫しています。
両者リングアウトには持ち込めるかと思っていましたが、レイガンスの強さは本物でした。
帰国第2戦となる馬場はバズ・タイラーをカウンターの16文キックから体固めに降して好調ぶりを見せつけています。
この年の8月は1日とこの日の2回、全日本の後楽園大会を観戦しましたが、内容はこの日の方が格段に上で面白かったと思います。
同日、新日本プロレスはタイガーマスク退団後の初のシリーズとなるブラディ・ファイト・シリーズが大宮スケートセンターで開幕していました。
未だ見ぬ強豪として期待されたヘラクレス・ローンホークが木戸修を相手にしょっぱい試合を見せて期待を大きく裏切っています。
当時は私にとっては大宮はまだ遠隔地であり、後楽園を生観戦し、新日本はビデオ録画してテレビ観戦しました。
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