83年8月25日、岡崎市民体育館(観衆3800人発表)からインターナショナル・ヘビー級王者のブルーザー・ブロディ、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、テリー・ゴディが合流。まさに役者が揃った感じです。
岡崎大会はノーテレビでしたが、豪華カードが組まれています。
NWA総会から馬場も帰国して出場。馬場はこの日の昼に帰国してそのまま試合会場へ直行、前年の82年も同じく帰国したその足で9月2日、宇都宮・栃木県体育館の試合に出場。鶴田と組んでスタン・ハンセン、ロン・バス組を破ってインターナショナル・タッグ王座を防衛しており、2年連続のハードスケジュールになりました。
この日メインイベントは馬場、鶴田に阿修羅・原を加えたトリオがブロディ、キラー・トーア・カマタ、リック・ハリス組と対戦しブロディがキングコング・ニードロップから原を体固めに降し外国人組の勝利。
セミファイナルはいよいよカウントダウンとなるドリーとテリー・ファンクのザ・ファンクスが登場。
ハンセン、マニー・ヘルナンデス組と対戦し両チームリングアウトとなっています。
注目のテリー・ゴディ初来日第1戦の相手は全日本のポリスマン的存在である職人マイティ井上。
かつてのIWA世界ヘビー級王者であり、国際プロレスのNo2であったM井上はジョバーとしてもいい仕事をしました。
試合は3分21秒、テリー・ゴディが片エビ固めでM井上から勝利。後述いたしますが、テリー・ゴディの必殺技であるパワーボム日本初公開は翌日の8月26日、後楽園ホール大会というのが定説になっております。
しかし、偶然にも愛知県在住のマイミクさんが岡崎大会を生観戦しており、この日のM井上戦がパワーボム日本初公開であったという貴重な証言をされています。
パワーボムは、ルー・テーズがバックドロップ、フライング・ボディシザースドロップと並んで3大フィニッシュホールドとしていたパイルドライバーの進化形の技でした。
パイルドライバーと言っても、バディ・オースチンが得意としていた最もポピュラーなドリル・ア・ホール式、ヨーロッパのレスラーが好んで使っていたツームストン式とは異なり、相手を担ぎ上げてからそのままマットに叩きつける荒業でした。
テーズはこの技を「リバーススラム」と呼んでおり、53年12月6日、ハワイ・ホノルル・インターナショナルセンター(ニール・ブレイズデルセンター)で力道山がテーズのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦した時、このリバーススラムを食らって43分、失神した揚げ句フォールを奪われています。
日本では77年8月2日、新日本プロレスの日本武道館で行われた猪木vs全米プロ空手世界スーパー・ヘビー級王者ザ・モンスターマンとの異種格闘技戦で見せた1発が有名です。
猪木はこのパイルドライバーからギロチン・ドロップへとつないでKO勝ちを飾っています。
しかし、相手がプロレスラーでない為、持ち上げられ方と落とされ方が安定しておらず、かなり危険であり、プロレス技としての見映えとしてはあまり良くはありませんでしたがフィニッシュのギロチンはだめ押しみたいなもので事実上、このリバーススラムで勝負あった感じでした。
当時の専門誌(紙)には「スタンプホールド気味のパイルドライバー」と書かれていましたが、スタンプホールドは逆さベアハッグみたいな技でした。
2メートルクラスのグリズリー・スミス、ビッグ・バッド・ジョン等が得意技にしていましたが頭からは落としません。
テリー・ゴディは14歳からマットに上がっていた選手ですがテーズのコーチを受けており、バックドロップも全日系外国人選手の大半が使う、相手の足を持って担ぎ上げ、弧を大きく描いてゆっくりと叩きつけるドリー式ではなく、ちゃんと相手の腰を両腕で持ち上げ、グリップして落とすテーズ式を使っています。
パワーボムもテーズ直伝であろうと思われ、テーズのリバーススラムをそのまま腕を離さずエビ固めに決めカウント3を取る、というのはおそらくテリー・ゴディのオリジナルでしょう。
テリー・ゴディの場合はフィニッシュで固める時に自分の両膝をマットに着けて落として固めるスタイルでした。
決まり手がエビ固めでなく片エビになっているのは、一旦投げっ放しにして叩きつけておいてから通常のフォールに入ったものと推測致します。
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