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2017年02月26日02:24

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ジャンボ鶴田怪物伝説(339)

83年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�靴�8月4日に閉幕し、次期スーパー・パワー・シリーズが開幕する8月19日までの間、ライバル団体である新日本プロレスでは大きな事件が発生しました。

人気絶頂を誇っていたタイガーマスクが引退を表明、新日本プロレスとテレビ朝日に対して契約解除を申し入れました。

プロレス界を超越して社会現象にまでなったタイガーマスクでしたが、僅か2年4か月で新日本プロレスのリングから去っています。

この出来事が発端になって、新日本プロレスは社内クーデター、内部分裂が勃発、選手の大量離脱が発生、UWF、ジャパンプロレスが誕生、翌84年には日本プロレス界の勢力分布図が大きく変化します。

この1年後に、2代目タイガーマスクが今度は全日本プロレスのリングに登場することになる訳ですが、その辺りのくだりは別連載「猪木とビンス」に書いてありますのでそちらのアーカイブをご覧頂けると幸甚ですし、また本編84年編でも馬場と全日本プロレス側の観点から詳細に書いていきます。

全日本プロレスは比較的内部分裂やスキャンダル的な出来事は起きておらず、馬場と元子夫人が仕切っていましたので外国人選手の引き抜き以外は刺激的な話題というのはこれまでは皆無でした。

日本テレビは「ジャイアント馬場」だから巨額の放映権料を支払っていたのであり、ゴールデンタイム撤退後の毎週土曜日午後5時30分(関東地区)からの全日本プロレス中継の放映権料がテレビ朝日の金曜日午後8時からのワールドプロレスリングよりも高かったとのことです。

放送がゴールデンタイムから撤退しても、豪華外国人メンバーを呼び続けることが出来たのは日本テレビからの強力なバックアップがあったからに他ならず、所属レスラーは皆それをわかっていましたので、反逆や造反劇はそもそも起きようがなかったのです。

実質的に馬場の個人商店であった全日本は日本テレビからの放映権料と馬場夫妻のポケットマネーだけで回っていたようなものでした。元子夫人は芦屋の資産家の令嬢であり、内助の功も大きかったです。実はそこが全日本プロレスの要でもありました。

全日本の所属レスラーは馬場より目立つパフォーマンスは許されず、リング上でのマイクアピールもご法度。

後にジャパンプロレスを経て永源遥が入って来ますが、チケットを売るような選手もおらず、グレート小鹿や77年に鶴田に声をかけて新団体旗揚げに画策し解雇されたサムソン・クツワダが北海道地区の興行を買ってプロモートする位でした。

「全日本プロレスの中堅若手には客を呼べるレスラーはいない」

とはよく言われておりましたが、実際はリング上で目立つことはしたくても出来なかったのが現状でした。

「全日本プロレスに就職した」鶴田がサラリーマンレスラーという評価なのも野心が元々なかったのですが、就職したからには転職もありです。

74年、鶴田が新間の口車に乗ってNET(テレビ朝日)の三浦甲子二専務に会いに「車に乗ってしまった」ことや前述のクツワダの新団体設立の誘いにいとも簡単になびいてしまったことは、

本人もいい大人なのでその辺のところは理解して誘いに応じていたはずです。馬場と鶴田の師弟関係は猪木と藤波の徒弟制度的なのとは違い、社長とスカウトされた幹部社員の関係でした。

馬場はそのこともあって、日本テレビから松根光雄が社長として出向して来て、現役トップからの退陣を迫られた時もすぐにタイトル戦線から引くことはしませんでした。

ドライな鶴田の腹の中は馬場も読むことが出来なかったと思います。

客を呼べないのだからギャラは安くて当然的な部分もあり、馬場の死後しばらく経過して馬場夫妻のケチぶりが元全日本勢の口から面白おかしく語られています。

ギャラの低さは間違いないところですが、遅配は1日もなく、厚生年金もかけてくれていたそうですから、そこは経営者としてはマトモな感覚の持ち主だったと言えます。

しかし、待遇の悪さは90年のSWS、00年のノアに見られる寄らば大樹の陰的大量離脱に如実に現れました。悪意はないと思いますが結果として当初の出資者を潰してしまったのが全日本型離脱と言えます。

この83年は全日本プロレスにとっては無風状態の1年でした。
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