今回は話が脱線します。タイトル戦におけるノーコンテストを防衛記録に含めるかどうかは意見が別れるところかと思いますが、この時期他団体はどうだったでしょうか?
新日本プロレスの猪木のNWFヘビー級選手権試合は第16代王者時代(75年6月26日蔵前国技館でタイガー・ジェット・シンを破り獲得〜80年2月8日東京体育館でスタン・ハンセンに敗れ転落まで)
の時に79年8月2日、品川プリンスホテルゴールドホール、10月4日、蔵前国技館のシンとの試合2回がノーコンテストとなっています。
この時は防衛記録には加算されていません。第18代王者時代、IWGP開催に向けNWF王座を返上する動きの中で行われた81年4月17日、鹿児島県立体育館での猪木vsハンセンが没収試合となり、タイトルはコミッショナー(二階堂進衆議院議員)預り。4月23日蔵前国技館で猪木とハンセンが王座決定戦で再戦を行い猪木が勝って王座獲得、返上、封印されております。
IWGPヘビー級王座になってからのノーコンテストは1回だけあり、88年5月27日、仙台・宮城県スポーツセンターで5月8日にビッグバン・ベイダーに反則勝ちし、初代王者猪木が右足甲をジョギング中に骨折し返上されたベルトを獲得した藤波が、長州と初防衛戦を行い、ノーコンテスト。
この時もタイトルはコミッショナー預りとなり同年6月24日、大阪府立体育会館での王座決定戦で藤波が長州を首固めで降し第3代王者となっています。よって第2代藤波の防衛回数は0。
88年は社会現象と言われた新生UWFが旗揚げされ、完全決着による実力主義が本物志向の、特に新日本プロレスのTPGたけしプロレス軍団や海賊男などに嫌気が刺したファンが大量に流れていきました。
これにより、既存老舗団体である新日本はフェンスアウトルールを撤廃、全日本も馬場が第一線を退いていたこともあり、完全決着体制に移行。
その代わり新日本のIWGPヘビー級、全日本の三冠ヘビー級タイトル戦など看板タイトルに常勝チャンピオンは存在しなくなりました。
つまり昭和の終焉と時期を同じくして、不透明決着の時代は終わりを告げた訳です。
国際プロレスのIWA世界ヘビー級王座はどうだったか?
記録を辿っていくと一番古いタイトル戦のノーコンテストは71年2月27日、川崎市体育館でのサンダー杉山vsマッドドッグ・バションのIWA世界ヘビー級戦。
この試合は61分3本勝負で1本目は杉山がジャーマンで先制。アンコ型体型の杉山でしたが明治大学レスリング部出身で64年東京五輪アマレス日本代表に選ばれた強者。国際時代はジャーマンを使いこなしていました。
2本目がノーコンテストとなっていますが1-0で杉山の防衛となっております。ちなみにこの1週間後の同年3月4日、北九州市小倉区三萩野体育館で杉山はビル・ミラーに敗れ王座転落。
ストロング小林時代はタイトル戦でのノーコンテストはなく、ラッシャー木村が王者になってから凶悪ラフファイター外国人が中心に来日していた為かノーコンテストが出ています。
まず76年6月11日、古河市立体育館でフリー参戦の上田馬之助の凶器攻撃の前にフォール負けを喫したR木村は王座転落。
リターンマッチが7月28日、銚子市体育館で初の日本人選手同士による金網デスマッチが行われていますが、阿部脩レフェリーが暴行され、代わりにサブレフェリーのマンモス鈴木が入ろうと金網のドアを開けたところ上田とR木村が金網から出て乱闘となり没収試合に。
この時は上田のタイトルも没収され、新日本行きが決まっていた上田は負傷を理由に7月31日、越谷市体育館で行われる予定だった王座決定戦を欠場。
上田が指名したスーパー・アサシン(ロジャー・スミス)を破ったR木村が王座返り咲き。没収試合とノーコンテスト(無効試合)とどう違うのかは不明であります。
没収なので上田の防衛記録はなし。
第14代王者となったR木村は79年7月21日、村上市民会館でアレックス・スミルノフに敗れ王座転落するまで約3年の長期に亘り27度の防衛に成功していますが、
この中でノーコンテストになっているのが77年8月7日、後楽園ホールでのジプシー・ジョー戦、78年5月1日、富士市吉原体育館でのマイティ井上戦(3本目にジプシー・ジョーが乱入)と79年5月9日、焼津市スケートセンターでのキラー・ブルックス戦(ブルックスの要望で試合途中からチェーンデスマッチとなる)の3回あります。
これはいずれも防衛記録に加算されています。
本連載の主人公、鶴田も1度インターナショナル・ヘビー級王者時代の87年4月24日、横浜文化体育館での谷津嘉章との防衛戦でノーコンテストになった記録があります。
シリーズ開幕前にジャパンプロレスが分裂。欠場を続けていた長州ら新日本への出戻り組と谷津以下残留組に分かれ、残留派の谷津が意地を見せて荒れた試合となり、流血戦で鶴田相手に一歩も引かず乱戦になりノーコンテストとなりました。
これは防衛記録に加算されています。
つまり、日本国内では全日本と国際が防衛記録に含める派で、新日本は含めない派ということになります。
個人的にはノーコンテストは読んで字の如く、試合そのものが無効だから防衛記録には入れない、というのが正解だと思います。
防衛記録云々が取り沙汰されるのは日本だけで、広い地域のアメリカではハーリー・レイスやリック・フレアー、ニック・ボックウィンクルが何回防衛しようがあまり関係なく、かえって曖昧にしておいた方が何かと都合がよかったのではないでしょうか。
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