83年グランド・チャンピオン・カーニバルの最終章であるPART�靴錬祁遑呼�、熊谷市民体育館で開幕。
テリー・ファンク、タイガー・ジェット・シン、アレックス・スミルノフ、ジプシー・ジョー、ジェリー・オーツ、ジェリー・モローの外国人勢がシリーズ全戦参加。
開幕戦から7月13日、千歳市スポーツセンターまでAWA世界ヘビー級王者のニック・ボックウィンクルが特別参加。また外国人側から上田馬之助がシリーズ全戦参加しています。
NWA世界王者の次はAWA世界王者の登場で新日本プロレスのIWGPに対して馬場も世界の権威で負けじと対抗していきました。
8月31日、蔵前国技館で引退試合が行われるテリーが最後のシリーズフル参戦となり、同シリーズは「テリー・ファンクさよならシリーズ」のサブタイトルが付けられています。
テリー、スミルノフ、ジョーの3選手は3月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�軌瞥萍鵤海�月ぶりの来日。
シンと上田の凶悪コンビは2月のエキサイト・シリーズ以来4か月ぶりの参戦となりました。
ベテランのオーツは81年7月の国際プロレス最終シリーズとなったビッグ・サマー・シリーズ以来2年ぶりの来日(ジプシー・ジョーも一緒に参戦していた)となり、全日本への参戦は76年9月のジャイアント・シリーズに弟のテッドとのオーツ・ブラザーズとして来日して以来実に約7年ぶり2度目の来日となりました。
オーツの初来日は72年の国際にジェリー・オーティスの表記で来ており、全日本初登場だった76年の来日の時は10月2日、後楽園ホールでテッドと組み、グレート小鹿、大熊元司組の極道コンビからアジア・タッグ王座を獲得しています。(10月21日、福島市体育館で高千穂明久、サムソン・クツワダ組に敗れ転落)
オーツ・ブラザーズは弟テッドの引退(後に復帰)により解散、シングルプレーヤーとなっており、その渋い試合巧者ぶりを馬場が評価し以後、全日本の中堅レギュラー外国人として定着します。
モローは国際プロレスの稲妻二郎。ジャック・クレイボーン(エディ・モレア)の弟でフランス領マルチニーク島出身。クレイボーンに連れられて国際プロレスへ留学生として入団。合宿所に住み込んでトレーニングを積み、71年7月6日、東京体育館での佐野浅太郎戦でデビュー。
初代留学生であるトリニダードトバコ出身の黒潮太郎(テディ・ハーバード)に倣って稲妻二郎と名付けられました。(W1の黒潮イケメン二郎のネーミングの元ネタはこの2人)
日本人以上に日本人的なハートの持ち主と言われ、国際の吉原社長を「日本のお父さん」と慕う姿勢は多くの共感を集めました。
78年にラグビー界から国際に入団した阿修羅・原のお目付け役も兼ねてカナダに遠征、80年4月に再びカナダに遠征、この時現地の女性と結婚して家庭を持ちました。
81年、国際崩壊の報をカナダで聞いたモローは号泣したそうです。
その後カナダ・カルガリーで活躍、カルガリールートから新日本プロレスへの参加の可能性もありましたが、原やマイティ井上達のいる全日本への参戦となりました。
つまり、「来日外国人レスラー、ジェリー・モロー」としてはこれが初の来日となった訳です。
序盤戦特別参加のAWA世界ヘビー級王者ニックは82年1月、新春ジャイアント・シリーズ以来1年半ぶりの来日。前回は2月4日、東京体育館で鶴田の挑戦を受け、両者リングアウトで王座を守っており、今回もタイトル戦は7月13日、千歳での鶴田の挑戦1回のみでした。
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