国際プロレスは66年10月、元日本プロレス取締役営業部長であった吉原功と在米フリーのヒロ・マツダにより設立された団体でした。
旗揚げシリーズは、先に旗揚げシリーズ、第2次シリーズを行い、日本プロレスの妨害に遭って散々な興行成績に終わり単独での興行開催継続が厳しくなっていた豊登と猪木の東京プロレスとの合同興行として67年1月5日、大阪府立体育会館から、31日、仙台・宮城県スポーツセンターまで行われています。
しかし、国際と東京の合同興行は1シリーズ行ったのみで頓挫、猪木は北沢幹之(魁勝司)、柴田勝久らと共に日本プロレスに4月に復帰しています。(東京プロレスでデビューした永源遥も日本プロレスへ移籍)
そんな中、翌68年1月からTBSの放送が付き、国際は再スタートを切る訳ですが、旗揚げシリーズである「パイオニア・シリーズ」とTBSの放送がついてからの「オープニング・ワールド・シリーズ」の間に1シリーズ、「パイオニア・サマー・シリーズ」というシリーズを開催しています。
パイオニア・サマー・シリーズは7月27日、名古屋・金山体育館で開幕、8月16日、蔵前国技館の最終戦まで全15戦が行われています。
参加外国人選手はサム・スティムボート、ビル・ドロモ、ロジャー・カービー、デニス・ホールの4人。いずれもマツダがブッキングして来た選手でした。
リッキー・スティムボートがサムの甥を名乗ってデビューしましたが血縁関係はありません。
サムは前66年5月、マツダが日本プロレスのリングに凱旋帰国した時に一緒に来日しており6月18日、川崎球場でのアジア・タッグ選手権試合、吉村道明、マツダ組vsエディ・グラハム、サム組でマツダが鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドで1本目を先制しています。
球場のライトに映える裸足のマツダの綺麗な弧を描いたジャーマンの写真は多くのプロレス関係の出版物で使用されていました。
さて、どうしても気になるのが8月16日、蔵前国技館での最終戦でどんなカードが組まれていたか?ということです、
国際プロレスは15年の歴史の中で蔵前大会の単独開催は6回しかありません。この日の他は…。
��68年11月30日、ワールド・チャンピオン・シリーズ(第1回IWAワールド・シリーズ)、公式戦ビル・ロビンソンvsピーター・メイビア、TWWA世界タッグ選手権試合、豊登、サンダー杉山組vsジョージ・ゴーディエンコ、ジョン・ダ・シルバー組(観衆4000人)
��69年12月4日、IWA世界タッグ王座挑戦シリーズ、IWA世界タッグ選手権試合豊登、ストロング小林組vsブルーノ・アーリントン、イアン・キャンベル組、グレート草津vsシャチ横内。※「プロレス入門」等でお馴染みのレバノンの双生児シークとエミールのエルマンソー兄弟が来日。(観衆4000人)
��74年11月20日、ワールド・チャンピオン・シリーズ、AWA世界ヘビー級選手権試合、バーン・ガニアvsビル・ロビンソン、マイティ井上vsニック・ボックウィンクル。(観衆4500人)
��77年3月26日、第6回IWAワールドシリーズ優勝決定戦、ラッシャー木村vsマッドドッグ・バション、IWA世界タッグ選手権試合、ビッグ・ジョン・クイン、クルト・フォン・ヘス組vs草津、アニマル浜口組。(観衆8200人)
��78年11月25日、日本リーグ争覇戦決勝トーナメント、R木村vsキム・ドク、M井上vsジャンボ鶴田。※元国際のエースで新日本プロレスのS小林と小林邦昭が参戦。(観衆4500人)
以上です。他に国際プロレスが都内1万人収容規模の大会場で興行を行ったのは日大講堂が3回(68年1月3日ルー・テーズvs草津TWWA世界戦、73年9月8日第5回IWAワールド・シリーズ開幕戦、74年9月23日R木村、草津組vsスーパースター・ビリー・グラハム、バロン・フォン・ラシク組IWA世界タッグ戦)
東京体育館が6回(69年4月30日ビル・ロビンソンvs豊登ヨーロッパ・ヘビー級戦、70年2月6日ガニアvs小林AWA世界戦、70年5月14日第2回IWAワールド・シリーズ決勝ロビンソンvs小林、71年3月2日マッドドッグ&ブッチャーのバション兄弟vs杉山、草津組AWA世界タッグ戦、R木村vsザ・?金網デスマッチ、71年7月6日小林vsチャック・カルボ、72年11月29日ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組vs 小林、井上WWA世界タッグ戦、馬場友情参戦、馬場、草津組vsレッド・バスチェン、マリオ・ミラノ組)
となっており、こちらは私の手持ちの資料で把握出来ますが、このパイオニア・サマー・シリーズ最終戦だけは謎のままでした。
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