83年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�兇錬儀�12日、後楽園ホールで開幕。
インターナショナル・ヘビー級王者のブルーザー・ブロディ、ディック・スレーター、ニコリ・ボルコフ、ザ・デストロイヤー、ビル・アーウィン、チャボ・ゲレロの外国人選手がシリーズ全戦参加。マイク・デービスが前半戦まで出場。
NWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーがシリーズ終盤戦に特別参加、ロディ・パイパーが中盤戦から特別参加しています。
また、大木金太郎の実弟(息子という説も濃厚)で全日本プロレスと国際プロレスで留学生として試合をしていた金光植(キム・クァン・シク)がアメリカでのヒール修行を経て、キラー・キムのリングネームでヒールサイドからシリーズに参加しています。
今回はスタン・ハンセンの来日はなく、単独エースのブロディは2シリーズ連続参加。
スレーターは前82年の世界最強タッグ決定リーグ戦以来5か月ぶりの来日、ボルコフ、チャボは前82年10月のジャイアント・シリーズ以来半年ぶりの来日となりました。
この頃は年1回ペースでの来日となっていたデストロイヤーは前82年8月のスーパー・パワー・シリーズ以来8か月ぶりの来日。
アーウィンは80年1月、新春ジャイアント・シリーズに初来日して以来3年4か月ぶり2度目の来日、デービスは2月のエキサイト・シリーズ以来約3か月ぶりの来日。
NWA世界王者フレアーは前82年6月にエキサイト・シリーズに特別参加して以来1年ぶりの来日。前回はリッキー・スティムボートに勝ち、鶴田と両者ダブル・フォールの引き分けと2度の王座防衛に成功しています。
全日本プロレス初参戦となる狂乱のスコッチ、パイパーはロサンゼルスを主戦場にしていた77年8月に新日本プロレスに初来日。帰国後ロサンゼルスで全身タイツ姿のマスクマン、マスクド・カナディアンに変身。
78年1月27日、オリンピック・オーデトリアムでWWWFジュニア・ヘビー級王者になったばかりの藤波辰巳に挑戦、飛龍回転固め(前方高角度回転エビ固め)に敗戦。
3月にはカナディアンとして新日本に再来日し、3月3日、高崎市体育館における藤波の凱旋帰国第1戦の相手を務め、飛龍原爆固めで完敗、首を負傷した状態でこれ以降も試合に出ていましたが、途中帰国(おそらくアングル)しており、本領発揮成らず。
この後パイパーはノースカロライナに転戦、ジム・クロケット・ジュニアのブッキングで全日本への来日が決まりました。
4月20日、東京体育館でヘクター・ゲレロをジャーマンで破り王座防衛に成功したものの、試合後にリング下に転落し左膝膝骸骨骨折の重傷を負って翌日から欠場となった大仁田が保持していたNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を返上。
このシリーズ王座決定リーグ戦が行われることになりました。
参加選手はチャボ、デービスに加え、日本陣営からウルトラセブン、越中詩郎、三沢光晴が出場、5人による総当たりリーグ戦を行い、上位2選手が5月26日、天竜市立総合体育館にで優勝決定戦が争われ、優勝者が新王者となります。
なお、キラー・キムも当初リーグ戦にエントリーされていましたが全日本のジュニアのリミット105kgをオーバーしており参加は見送りとなりました。
チャボ以外のメキシコ人参加選手もおらず(チャボはメキシカンであるがアメリカを主戦場にしていたのでルチャドールとは言い難い面あり)、やはり全日本プロレスにはジュニア・ヘビー級の人材は不足しておりました。
ログインしてコメントを確認・投稿する