mixiユーザー(id:21258650)

2017年01月06日18:55

817 view

ジャンボ鶴田怪物伝説(297)

79年10月5日、横浜文化体育館で開幕のジャイアント・シリーズには高千穂明久より1シリーズ遅れで天龍が2度目の凱旋帰国を果たしました。

天龍が日本を離れる前に敵対していたキム・ドクことタイガー戸口が正規軍で第3の男として居座っており、天龍と戸口のポジションもまた微妙なものになっていました。

77年6月に助っ人外国人であったザ・デストロイヤーを除いて馬場、鶴田に次ぐ第3の男として迎えられた天龍でしたが、ファンの期待に応えられたとは言えず、半年間日本で試合をした後再渡米して2度目の修行に。

フロリダでマスクマンのザ・ライジング・サンとして高千穂と組んだものの実績は残せない状態での帰国でした。

帰国後はこの時期ポジションでは戸口の方が上で、第2戦の10月6日、大宮スケートセンターで戸口と天龍の2人だけのタッグが実現し大木金太郎、クラッシャー・ブラックウェル組と両チームリングアウト。東スポやゴング、プロレス誌のプロレス熱戦譜では戸口、天龍という順番。

10月8日、桐生市民体育館では高千穂と天龍がタッグを結成し大木、ドン・ムラコ組と対戦、高千穂がムラコを回転エビ固めで押さえて勝利していますが、これも当時のプロレス熱戦譜を見ると高千穂が上です。

つまり、全日本のこの時の番付は馬場、鶴田、戸口、高千穂、天龍の順でした。

そんな中、10月19日、郡山市総合体育館のテレビ収録のセミファイナルで(メインイベントは馬場、鶴田組がアブドーラ・ザ・ブッチャー、レイ・キャンディ組を2-1で降し12日、旭川市体育館で奪われたインターナショナル・タッグ王座を1週間ぶりに奪回)、高千穂は天龍と組んでアジア・タッグ王者チームのグレート小鹿、大熊元司組の極道コンビと対戦、高千穂が回転エビ固めで大熊をフォール。

ノンタイトルながら王者チームに勝ったということでシリーズ最終戦の11月8日、後楽園ホールで高千穂、天龍組がアジア・タッグ王座に挑戦することになりました。

高千穂は77年6月16日にサムソン・クツワダと組んでいた時に極道コンビに敗れ王座転落して以来の返り咲きのチャンスでした。

このシリーズは後半1週間にNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが参戦、10月31日、愛知県体育館では馬場が18分29秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めでレイスを破り2度目の王座獲得。

この時は11月に新日本プロレスがWWFヘビー級王者のボブ・バックランドを招聘、11月30日徳島市立体育館、12月6日蔵前国技館で猪木との2番勝負が組まれており、猪木がベルトを獲ると予測した馬場が先手を打った、ということは前に書いた通りです。

シリーズ終盤の11月2日、岡山武道館で天龍は戸口と組んでブッチャー、キャンディ組と対戦しブッチャーのジャンピング・エルボードロップにフォール負け。

11月5日、宮崎県串間市民総合体育館で天龍はセミでブッチャーとシングルマッチを行い、僅か4分42秒、またもやジャンピング・エルボードロップの前に体固めで沈んでしまいました。扱いはもはやジョバーと言ってもいい位でした。

馬場はこの日の串間でレイスをフライング・ボディシザースドロップからの体固めで破りNWA世界王座初防衛に成功しましたが、11月7日、尼崎市記念公園体育館でレイスにフライング・ボディアタックを切り返されてフォール負け、前回同様1週間で王座をレイスに明け渡しています。

最終戦の11月8日、後楽園ホールで高千穂、天龍組が小鹿、大熊組の持つアジア・タッグ王座に挑戦しました。

1本目は僅か19秒、天龍の奇襲攻撃のブレーンバスターから大熊を体固め。しかし、長期戦になってくると百戦錬磨の極道コンビが本領発揮。

2本目は20分43秒に大熊がジャンピング・ヘッドバットから天龍を片エビ固め、決勝の3本目は5分33秒、大熊と高千穂のロープワークの攻防の最中、リング下にいた小鹿が高千穂の足を掬ってダウンさせ、大熊が高千穂を体固め。

試合前の下馬評では高千穂、天龍組の方が有利で悪くても1-1の引き分けかと予想されていましたが大熊が1人で2本奪っての極道コンビの完勝でした。

天龍は2年前の77年9月9日、後楽園ホールでロッキー羽田と組んで小鹿、大熊組に挑戦した時が1-1からの60分時間切れ引き分けでしたから、結果的にはその時を下回りました。

ちなみに、前日の尼崎でレイスが馬場に勝って王座を奪回した為、この日のメインで行われたレイスvsブッチャーのシングルマッチは急遽NWA世界ヘビー級タイトルマッチとなり5分7秒、両者リングアウトとなりました。

全日本と日本テレビが「世界最高峰」とアナウンスしていたNWA世界タイトル戦が2000人規模(この頃は3000人)の後楽園ホールで実施されたことは王座の権威を下げる、との批判の声もありました。

高千穂と天龍は次の世界最強タッグ決定リーグ戦にもエントリーされず、(この時馬場は『世界最強』の看板に拘っており、78、79、80の3年間は馬場、鶴田組以外の日本人の2番手チームを参加させなかった、戸口もエントリーされていない)翌80年1月には高千穂が、2月には天龍がアメリカへ出発しています。
9 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年01月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031