ミラノ最後の来日となったのが85年5月の「激震!サンダーウォーズ」で、実に4年2か月ぶりの参戦となりました。
この4年2か月で全日本プロレスのリングは大幅にその景色が変化しています。
81年5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本プロレスへ移籍を発表、次いでタイガー戸口も新日本へ。
怒った馬場はタイガー・ジェット・シンを引き抜き7月にシンは全日本に登場。
8月にディック・マードックが新日本へ移ればチャボ・ゲレロがNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級ベルトを手土産に全日本へ。
12月13日、新日本の強さの象徴であったスタン・ハンセンが全日本に移籍を果たしています。
84年には長州力率いる維新軍が新日本を退団、この85年1月から全日本に本格シリーズ参戦、またダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスも84年11月には全日本へ。
85年3月、ブルーザー・ブロディが新日本へ電撃移籍、全日本でブロディのパートナーを務めていたジミー・スヌーカもWWF経由で新日本に登場しています。
全日本のリングも日本人vs 外国人から日本人同士の抗争に主軸が変わっていきました。
また3本勝負が原則撤廃され、これまでのようにフォールを取り合う展開もなくなり、後がない1本勝負のシビアな時代に突入していました。
シリーズ参加外国人選手はタイガー・ジェット・シン、テリー・ゴディ、ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミス等新日本からの移籍組が多数おり、シリーズ後半にはアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズが特別参加。
このシリーズは必然的にシンと組まされることが多くなり、開幕戦の5月17日、旭川市総合体育館常盤分館ではセミで馬場、石川敬士組と対戦、シンが馬場をコブラクローでフォール。
長州らジャパンプロレス軍とミラノの初対戦は5月22日、本荘市体育館。メインで長州、キラー・カーン、谷津嘉章組vs シン、ミラノ、ダシラン・シン組というカードが実現し長州がダシランを体固め。
ダシラン・シンはシンの子分的選手でシンの売込で馬場が呼んだと思いますが、新日本プロレス時代からシンの子分、(弟という触れ込みのファザール・シン、ガマ・シン、ゴーディ・シン、タルバー・シン、モハン・シン)は使えない選手が多く、試合をした記録が日本にも伝えられているのはカルガリーのガマ、南アフリカ共和国のタルバー位です。
5月24日、石巻市総合体育館のセミファイナルでミラノはシンと組んで長州、谷津組と対戦、5分1秒、リキラリアットからの体固めでフォール負けを喫しました。
6月2日、後楽園ホール大会は2度目の来日となるウォリアーズが聖地後楽園初登場ということで超満員3400人発表の観客を動員。
ミラノはシンとのタッグで馬場、石川組と対戦、石川のトップロープからのギロチンドロップを受けてピクリとも動かなくなり、7分54秒、体固めでフォール負け。
ミラノは石川のギロチンドロップを喰らった際に後頭部を強打し失神してしまいました。館内の心ないファンから「死んじゃった」コールが起きています。
昭和のファンは「延長」コールと「金返せ!」コールをよくやっていましたがマナーは今の観客の方が遥かに上です。
ミラノは脳震盪を起こしていましたが、大事には至らず、翌日には普通に試合に出場しています。(6月3日、岡崎市体育館馬場、鶴田、石川組vs シン、ゴディ、ミラノ組で両チームリングアウト)
シリーズ最終戦は6月13日、古河市立体育館。ミラノはシン、ゴディと組んで馬場、鶴田、天龍組の全日本トップ3と対戦。
10分19秒、鶴田がバックドロップからミラノを体固め。これがミラノの日本での最後の試合となりました。
ミラノのオリジナルの必殺技、ジャンピング・パイルドライバーはドリルア・ホール式パイルの体勢からジャンプ一番、自らの両膝をマットに付けて相手の顔面をマットに打ち付ける荒技でした。
この技の使い手は他に現れていませんが、WWEのHHH(ハンター・ハースト・ヘルムスリー=ポール・レベック)がこの技をダブルアーム式に改良。ぺディグリーとして一撃必殺のフィニッシュホールドとして使っています。
トップ中のトップにはなれませんでしたが、17年の長きに亘り日本プロレス、全日本プロレスで活躍、ファンの記憶に残る名レスラーでした。
男性プロレスラーとして81歳は天寿全う、向こうの世界でムース・モロウスキーやキング・イヤウケアと再会し馬場、鶴田と試合をしているかも知れません。
お疲れ様でした。ゆっくりとお休み下さい。
(完)
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