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2016年12月10日08:47

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ジャンボ鶴田怪物伝説(290)

83年1月20日は北茨城市体育館大会(テレビ収録、観衆2500人)。メインイベントは鶴田、天龍組とタイガー・ジェット・シン、キラー・トーア・カマタ組が対戦しています。

このシリーズはシン、上田馬之助、カマタ、鶴見五郎が一つのヒールユニットとなっており、セコンドの上田が度々介入。

しかしカマタのフライング・ボディプレスを自爆させた鶴田が140kgの巨体を担ぎ上げての鮮やかなバックドロップ一閃。

8分55秒、体固めで鶴田、天龍組の勝利となりました。この時期、まだインターナショナル・タッグ王者チームにもなっていなかった本格結成前の鶴龍コンビに反則や両リンでなくピンフォールでカマタが敗れてしまった訳です。

カマタは1月16日、豊明市福祉体育館でのメイン、馬場、天龍組vsシン、カマタ組で天龍にフォールを奪われていました。

1本勝負時代のシビアさと言ってよく、アブドーラ・ザ・ブッチャーと78、80年の世界最強タッグ決定リーグ戦にエントリーされ(78年はザ・シークの負傷帰国による途中参加)、上位の成績を収めて来たカマタも段々とジョバーに格下げになっていました。

セミファイナルは石川敬士、佐藤昭雄組の持つアジア・タッグ王座にドリーム・マシン、ジプシー・ジョー組が挑戦。

石川がDマシンのバックに回り、綺麗なブリッジでのジャーマン・スープレックスホールド。これでカウンター3が入り、石川、佐藤組が5度目のタイトル防衛を果たしています。

結局、Dマシンは桜田一男という実力的の変身でありながら、前回82年10月の参戦と今回と正体不明のマスクマンを貫き通し、これと言った自己アピールもせず、マッチメークの主流に絡むことなく終わりました。

アメリカに戻った後は2度と全日本のリングに上がることもなく、長州力以下ジャパンプロレス勢が移籍し飽和状態となった全日本には自分の帰る場所はないとばかりに85年10月には坂口の誘いに応じてランボー・サクラダのリングネームで新日本プロレスへ参戦することになります。

Dマシン時代のことについて桜田はほとんどコメントしておらず、米沢良蔵営業部長のアイデアだと言うこと以外は判明していません。本人には黒歴史かも知れないです。

シリーズ最終戦は1月22日、後楽園ホールで行われ、2700人(満員)発表の観客を集めました。

メインイベントは馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座にシン、上田組が挑戦。

試合はスタートから荒れた展開となり、シンと上田は巧みに凶器やタッチロープを使った反則攻撃。鶴田がジャンピング・ニーパット、上田は場外へ転落、そのまま4者入り乱れての場外乱闘となり、7分18秒、両チームリングアウトの引き分け。馬場、鶴田組が17度目の防衛に成功しました。

セミファイナルは元国際プロレス同士の対戦、阿修羅・原vs鶴見五郎のシングル戦で原が後方回転エビ固めでフォール勝ち。鶴見はカウントが早いと抗議したが受け入れられず。

天龍は大仁田と組んでDマシン、ロッキー・ジョーンズ組と対戦、天龍がROジョーンズを片エビ固めに決めています。

このシリーズは大会場と呼べるのは1月13日の大阪府立体育会館位で鶴田のUNヘビー級王座の防衛戦もなく、前82年のスタン・ハンセンが移籍した時とは1年でスケールダウンした感は否定出来ず、ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ザ・ファンクスがいる時とそうでない時の差が大きくなっていました。
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