83年の全日本のリングは穏やかなスタートとなりました。前82年は年頭から新日本プロレスより移籍のスタン・ハンセンが参戦、翌84年は新日本の内部分裂により後半には色々な事件が起きます。
この年はテリー・ファンクの引退はありましたが、いわゆる「無風状態」の最後の1年だったと言えます。
新春ジャイアント・シリーズ開幕戦の1月2日、後楽園ホール(観衆3400人超満員発表)では新春恒例となったヘビー級バトルロイヤルがメインで行われ、19選手が参加。
決勝はミル・マスカラスが鶴見五郎をフライング・クロスアタックの連発からダイビング・ボディプレスでフォールし優勝しました。
鶴田の83年度の初戦は馬場と組んでキラー・トーア・カマタ、ヘラクレス・ヘルナンデス組と対戦。竹刀を持った上田馬之助が乱入しての反則勝ち。
大仁田はロッキー・ジョーンズとNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座防衛戦。
ROジョーンズの反則に苦しめられましたが、コーナーポスト最上段からのミサイルキック、さらにボディスラムの体勢で身体を横抱きにしながら後方に投げつけてブリッジして固めるブロックバスター・ホールド(ジョージ・ゴーディエンコ式、75年10月9日、新日本蔵前国技館での猪木vsルー・テーズのNWF世界ヘビー級選手権試合で猪木がフィニッシュに使用)から9分51秒、大仁田が王座初防衛に成功しています。
今回は実弟ドスカラスの来日はなく、単独参戦となったマスカラスはウルトラセブンとのタッグで石川敬士(このシリーズ隆士から改名)、マイティ井上組との対戦。マスカラスが鮮やかな回転エビ固めで石川からフォール勝ち。
天龍は阿修羅・原と組んで上田、鶴見組と激突、僅か1分31秒で反則勝ち。この時の乱闘で天龍と上田の遺恨が再燃し翌日の3日にはシングルで対戦することになりました。
ドリーム・マシン、ジプシー・ジョー組はグレート小鹿、大熊元司組と対戦、Dマシンがペンデュラム・バックブリーカー、ドリルアホール・パイルドライバーを大熊に決めてフォール勝ち。
8年ぶりに来日したスティーブ・ボラスはさすがに衰えは隠せず、佐藤昭雄に首固めで丸め込まれてしまいました。
翌3日後楽園ホール2日目(観衆3400人超満員)のメインは天龍と上田のシングル戦時間無制限1本勝負。両者のシングルは前82年7月23日、和歌山・串本市スポーツセンター以来の対戦。
試合は天龍が上田を相手にラフでも真っ向勝負を見せましたが、鶴見がチェーンを持って乱入して天龍の手痛い反則勝ち。
試合は反則決着でしたが、天龍の受けっぷりの良さは上田の持ち味を存分に引き出しました。
上田もタイガー・ジェット・シンも馬場、鶴田相手だと試合中に妙な間があいていましたが熱くなってラフで向かって来る天龍はやり甲斐のある相手だったと思います。
鶴田は原と組んでヘルナンデス、Dマシン組との対戦。ヘルナンデスの怪力殺法に原がフォール負けを喫しています。
マスカラスはM井上とシングルマッチ、回転エビ固めで試合巧者を降しました。馬場とカマタのシングル戦はこの時馬場はハーリー・レイスに負けてPWFヘビー級のベルトを奪われておりノンタイトルとなりましたが僅か3分4秒、レフェリーの制止を無視したカマタが暴走しての反則勝ちとなりました。
年末の最強タッグに豪華外国人メンバーを投入したことで新春ジャイアント・シリーズはその反動が来るのが例年のお話で、ハンセン獲得で意気が上がった82年はあくまで例外。
天龍vs上田の一騎討ちは見応えがあったものの、それ以外の試合内容と結果はハンセン移籍前ののどかだった全日本プロレスの風景にまた逆戻りしてしまった感じを受けました。
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