日本プロレス史上に残る暴動騒ぎとなった84年6月14日新日本プロレス蔵前国技館。
あの時、乱入した長州は最初から明らかに不快感を全身から漂わせており本人が好んでの乱入では絶対になかったと思います。
1年前、ハルク・ホーガンのリング内での助走をつけたアックスボンバーをリングに上がって来るタイミングで食らった猪木は失神しKO負け。
猪木による自作自演説が今では定説になっており、そうであれば、この敗戦の時に猪木の頭の中には1年後のリベンジ劇のシナリオは出来上がっていたはずです。
「これで来年までのネタは出来た。もう一度IWGPが出来る、稼げるぞンムフフフフ」と言ったかどうかは定かではないですが、猪木がスンナリ勝ってさえいれば1回で終わりのはずのIWGPは第2回を開催せざるを得ない状況になりました。
第2回は猪木が優勝してハッピーエンドに終わることを猪木も新日本プロレスも想定していたと思います。
しかし、猪木にとっての誤算はホーガンがWWF世界ヘビー級王者になったことと、ビンス・マクマホン・シニアが癌に冒され、交渉の相手方がビンスになってしまったこと。さらにホーガンとビンスが組んで全米制圧の野望に向けて乗り出したことでした。
いくら日本と言えどホーガンのフォール、ギブアップ負けはなし、反則かリングアウトによる勝敗しか考えられない。
フェンスアウトによる反則では呆気なさ過ぎる、場外での延髄斬り(翌85年6月13日、愛知県体育館のフィニッシュ。)で滑り込んでのリングアウト勝ち。猪木はおそらくこれは却下。
「またぶち壊してしまえ」
ホーガンはWWF世界ヘビー級王者である、ならば…。ボブ・バックランドとのWWFヘビー級戦の終わり方を思い起こしてみて下さい。
78年12月14日、大阪府立体育会館ではヒロ・マツダ以下狼軍団が乱入して猪木のリングアウト勝ち。
79年11月30日、徳島市立体育館、12月6日蔵前国技館のベルト移動劇ではタイガー・ジェット・シンが乱入。
80年8月22日、品川プリンスホテルゴールドホールではスタン・ハンセンとラリー・シャープが乱入して猪木のリングアウト勝ち。
このパターンを引用したかと思います。ならば猪木もホーガンもどちらも傷つかない。しかしこのシリーズ、次回の遺恨につながるようなヒール外国人は来ていません。
ならば反体制の旗手、不平不満分子の塊、長州しかこの役割をこなす人物はおりません。嫌がる長州を説得して試合に乱入させたと考えます。(当初は維新軍メンバーによる乱入も想定されたが長州が他のメンバーを傷つけない為にこれを断り単独で乱入したと予想)
ですが、ファンのIWGPに対する思い入れの強さはとこのフィニッシュに裏切られた感は猪木の想定の範疇を遥かに上回り、暴動に発展しました。
まだ当時のファンは両者リングアウト、フェンスアウトなどの不透明決着を必要悪として考えられる程スレてはおらず、猪木の考えるプロレスとファンのニーズが明らかにずれて来ていたことは確かでした。
これはその後の海賊男やTPGを見てもはっきりとわかります。
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