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2016年08月07日12:32

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猪木とビンス(337)

84年5月8日、新宿・京王プラザホテルにおいて新日本プロレスとUWFの両団体首脳が出席しての合同記者会見が行われています。

新日本からは坂口副社長、テレビ朝日から出向の永里高平専務、UWFからは浦田昇社長と新間寿会長、さらに二階堂進日本プロレスリング・コミッショナー代理の佐藤隆衆議院議員(自民党政調副会長)が出席しました。

両陣営はいずれも硬い表情でピリピリとした緊迫感の元、会見は行われ、佐藤コミッショナー代理は、

「この狭い日本のプロレス界において第3団体の存在というのは望ましくない。この際、新日本とUWFは小異を捨てて大同団結し、日本プロレス発展の為に協調していくことを強く希望する。」と趣旨を述べました。

新日本側は「コミッショナーの意見を重視し、日本プロレス界発展の為に話し合いを行っていく」と共通の見解を示しました。

UWFの新間会長は「一部ではUWFが新日本に吸収合併される、という報道もあるがそれはない。もちろん、協調すべきところはやっていくが、あくまでウチ独自路線でいく」と一部を否定しています。

当時は「何が言いたかったのか、さっぱりわからなかった謎の会見」と言われましたがその後に判明した事実も交えて検証していきたいと思います。

当初、テレ朝とフジテレビの2局放映を狙った猪木の目論見により誕生したUWFは、テレ朝の強硬なる反対に遭い猪木は参戦を断念。

結果、フジテレビの放映話がなくなり、フジテレビからの放映権料を宛てにして新間が交渉しようとしていたビンス・マクマホンのWWFとも交渉が不可能になりました。

それでも、馬場の協力を得てアメリカ勢外国人レスラーを招聘し、旗揚げオープニング・シリーズを決行したものの、おそらく実質的には赤字。

新間は新日本と単独で話し合い、UWFを1シリーズのみで終息させ、前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田の所属選手を新日本へ戻すように画策。(おそらくマッハ隼人は新日本復帰のメンバーからは外されたと思われる)

団体誕生の経緯から新日本が断るのは考えにくく、UWFの選手を受け入れることで合意していた。その上での会見でした。

しかし、それだけでは単なる出戻り話となってしまう為、コミッショナーの裁定という大義名分の元、新日本がUWFを吸収合併する、という話かと思われます。

二階堂コミッショナーは 79年2月に新日本と、提携していた国際プロレスの2団体によって擁立されました。

実際は全て新日本の主導で進められ国際は従ったに過ぎず、新日本は全日本の馬場にも傘下に入るよう呼び掛けましたが馬場は案の定これを無視。

同年8月26日、日本武道館で行われたプロレス夢のオールスター戦の際も二階堂氏を新日本が呼んで来るのを見越した馬場はロード・ブレアースPWF会長を呼び、コミッショナーとの記念撮影の際もブレアース会長を入れるようにマスコミに注文をつけて、二階堂氏には同調しないことをアピールしました。

二階堂氏の対応をしていたのは専ら新間で、接待饗応から何から何まで新間が全てやっていました。かつて日本プロレス時代、力道山がコミッショナーとして大野伴睦を擁立、力道山死後は川島正次郎、椎名悦三郎ら自民党の大物政治家がコミッショナーに就任。

それを目の当たりにしていた新間は新日本旗揚げ後は秋田大助衆議院副議長、森喜朗、福田宏一らをリングに上げ、タイトルマッチの認定宣言を読ませていました。

79年12月6日、蔵前国技館大会には前内閣総理大臣、福田赳夫氏を招聘しており、大物政治家をプロレス興行に呼んで威厳を持たせることを継続してやって来ていたのです。

なので、今回、窮地に追い込まれた新間が二階堂コミッショナーの協力を仰いで表向きはコミッショナー裁定と言う形にしてUWFを新日本へ戻そうと考えていたことは想像に難くありませんでした。

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