84年4月11日、大宮スケートセンターで第3団体UWFが旗揚げオープニング・シリーズの開幕戦を開催しています。
今は団体を誰でも簡単に旗揚げしており、法人登記していないプロモーションまで入れるともういくつあるのかわからない状況になっていますが、32年前に団体を旗揚げするということは大変なことでした。
54年2月19日、蔵前国技館でのプロレス国際試合を日本プロレスの旗揚げ戦とするならば、日本プロレス30年の歴史の中で団体の旗揚げは72年10月21日、町田市体育館における全日本プロレスの旗揚げ前夜祭以来11年半ぶり。
これまでに旗揚げした団体は力道山の日本プロレス、木村政彦の国際プロレス団、山口利夫の全日本プロレス、アジア・プロレス、東亜プロレス、猪木、豊登の東京プロレス、吉原功の国際プロレス、猪木の新日本プロレス、馬場の全日本プロレスの9団体。
女子プロレスは日本女子プロレス、東洋興業、全日本女子プロレスの3団体でした。
木村政彦の国際プロレス団、山口の全日本プロレス、アジア、東亜は力道山の手によって統一され消滅しています。
まあ、プロレス団体の旗揚げというのはその位一大事でハードルも高かったということです。
開幕戦のメインイベントは前田日明がダッチ・マンテルとシングルマッチ60分1本勝負で対戦、WWFインターナショナル・ヘビー級のベルトを腰に巻いて入場してきた前田は8分33秒、フライング・ニールキックからのジャーマン・スープレックスホールドで勝利を飾っています。
この日、歴史の証人にならんと会場に詰めかけた3100人(超満員)発表の観客からは、オープニング・シリーズのポスターに顔写真が掲載されていたからか、
猪木、藤波(ドラゴン)、長州、藤原、ホーガンなどのコールが飛び交いました。
メインを締めた前田は試合後、マイクをつかんで「大技が何発も出るなんてプロレスじゃあない、俺は格闘技に近いプロレスをやる、よく見ておけ!」とアピールしました。
やはり団体のコンセプトとしては、猪木、新日本プロレスのハード面を意識したものになってしまうのは致し方なかったと思います。
セミファイナルは最終戦の4月17日蔵前でダブル・タイトルマッチで対戦が決定しているUWA世界ミドル級王者グラン浜田とWWFライト・ヘビー級王者ペーロ・アグアヨがノンタイトルで対戦し、凶器を持ち出したアグアヨが反則負けとなっています。
WWFライト・ヘビー級王座は81年3月に新日本のリングで王座決定リーグ戦が開催され、3月26日、清水市鈴与記念体育館でアグアヨが浜田を破って初代王者になっていますが、その後はメキシコのUWAで管理、運営されていたベルトでした。
浜田をセミに持って来たのは猪木的路線とルチャの二本立てでいく予定であり、この時は実現していませんがザ・タイガーの佐山聡を近いうちに上げようと考えていたと思われます。
UWFの重鎮ラッシャー木村はスコット・ケーシーをラリアットで破り、剛竜馬はビニー・バレンチノに勝利。
新日本所属のままUWFのリングに上がった高田伸彦はボブ・スウィータンのパイルドライバーに負け。
マッハ隼人、マノ・ネグラ組vsエル・シグノ、エル・テハノ組が記念すべきオープニングマッチで、テハノがマッハを片エビ固め。
ネグロ・ナバーロは試合が組まれませんでした。
旗揚げ戦を終えた新間会長は「17日の蔵前には猪木さんが来てくれると信じている」とコメント。
ちなみにレフェリーはアメリカからボブ・ボックウィンクル(ニックの弟という触れ込みだった)、メキシコからトニー・カマルゴが呼ばれ、リングアナウンサーには新日本プロレスから移籍してきた若手の営業社員、神新二が勤めました。
この後、UWFは4月12日熊谷市民体育館(2500人満員)、4月14日下関市体育館(3100人満員)、4月16日岐阜県萩原町あさぎり体育館(1600人)と地方を回り、最終戦の蔵前大会を迎えることになります。
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