mixiユーザー(id:21258650)

2016年07月23日10:47

861 view

猪木とビンス(329)

UWFの旗揚げオープニング・シリーズに参加が発表された外国人選手のうちのアメリカ勢、ボブ・スウィータン、ダッチ・マンテル、スコット・ケーシー、ビニー・バレンチノの4選手は新間が馬場に頼んでブッキングを依頼したものでした。

フジテレビが放映中止の判断を下した為、あてにしていた放映権料収入が見込めなくなった新間は旗揚げシリーズ開幕までに時間もなくなって来たところから敵の懐に飛び込む形で馬場に限られた予算内で外国人のブッキングを依頼しました。

ことある毎に猪木と共に自分のことを誹謗中傷して来た新間に対し馬場は「敵に塩を送る」ビジネスをしました。

新間は既に新日本プロレスの人間ではありませんでしたし頼まれれば拒む理由もありません。

馬場はその後もいろんな節目節目においてこのような対応をし、実利を得ています。

90年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会に坂口社長の要請で鶴田、天龍、スタン・ハンセン、谷津嘉章、タイガーマスクを派遣。

95年4月2日、ベースボール・マガジン社主催「夢の懸け橋」に当時鎖国路線を敷いていたにもかかわらず、三沢光晴以下主力選手を派遣。交渉が難しいとされた全日本の参戦決定で大会の成功は約束されたも同然となりました。

96年9月11日Uインター神宮球場大会に鈴木健取締役の要請を受けて川田利明を派遣。

但し、当時全日本の社長は日本テレビから出向してきた松根光雄氏であり、表立って馬場の名前は出せないところから、馬場はテリー・ファンクに「外注」、テリーはこの案件を同じテキサス州内のNWAメンバーであるサンアントニオのジョー・ブランチャードに廻しました。

結果、二線級ながら全日本のレギュラーメンバーではない選手が呼ばれました。いずれにしても、アメリカ勢がいなくてはUWFは興行を打つことは出来ず、新間は馬場に助けられた形になりました。

馬場はさらにこの年の1月から、全日本にフリー参戦していた元国際プロレスのマッハ隼人をUWFに移籍させています。

マッハは国際崩壊後、メキシコに戻っていましたが、鶴見五郎の口利きで全日本に参戦、しかし、大型選手揃いの全日本では真価を発揮出来ず本人も悩んでおり、(グレート小鹿のいじめに遭っていた説もあり)新間とUWAの友好関係からメキシカンが多数呼ばれたUWFのリングはマッハには適したリングであろうと、人減らしのような感じでマッハは全日本に2シリーズ参戦しただけでUWFに出されました。

4月4日、南青山にあった新日本プロレスの事務所で坂口と藤波が記者会見を行い、改めてWWFインターナショナル・ヘビー級王座は藤波が保持しているベルトがWWFが認定している唯一無二の王座であることを強調しましたが、この問題については、新間と既に3回も話し合いをしていて、新間も譲らず、平行線に終わっていることも付け加えています。

しかし、UWFの浦田社長の言う4月17日の蔵前国技館でのオープニング・シリーズ最終戦で藤原喜明が前田日明のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦して来い、という発言に対しては、

「絶対に認めない、第一、それをやったら向こうのタイトルを認めることになってしまう。前田vs藤原はあくまで制裁マッチ、ノンタイトル戦。レフェリーもウチから出す。」とコメントしています。

話がシリーズを欠場した高田伸彦に及ぶと「高田はロサンゼルスに行っている。」との回答。高田のロサンゼルス行きについては猪木も「本人がどうしても行きたい、と言うので熱意に負けて行かせた。」と容認していたとのことでした。

記者会見のあった同じ日、猪木は全日本プロレスの岡山武道館大会に突然姿を現し、馬場を表敬訪問。約20分間に亘り馬場と2人だけで会談しています。

この日の岡山大会は、メインイベントが馬場、鶴田組にハンセン、ロン・バス組が挑戦するインターナショナル・タッグ選手権試合が組まれ、日本テレビによる収録もあった為、多くのマスコミが取材で待機していましたが、まさかのサプライズに皆驚いていたようです。
11 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年07月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31