79年世界最強タッグ決定リーグ戦は前年度優勝の馬場、鶴田組、ドリーとテリーのザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組の3強に加え、ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズ他全7チームが参加。
開幕戦でブッチャー、シーク組はワフー・マクダニエル、フランク・ヒル組と対戦、初来日のヒルを血ダルマにして完勝しましたが、凶悪コンビを相手にワフーが日本で初めてその本領を発揮。
ヒルはそのやられっぷりからこの試合だけで日本のファンに長く強い印象を与えました。
ファンクスとマスカラス・ブラザーズの兄弟対決は12月7日、大阪府立体育会館で実現しドリーがドスカラスをエビ固め。
ドリーは相手がベビーフェイスの選手になると好んでこのエビ固めを多用していました。(後にテリーとの兄弟対決でも使用)
最終戦は12月13日、蔵前国技館で行われ、セミファイナルで馬場、鶴田組はマスカラス・ブラザーズと対戦、鶴田がドスカラスのダイビング・ボディアタックを自爆させての片エビ固めで10点を上げ、メインの結果待ち。
やはりドスカラスはこの中に入ると小ささと軽さが目立ちました。
メインイベントは3年連続蔵前大会同一カード、ファンクスvsブッチャー、シーク組の激突。試合はブッチャーのフォーク攻撃がシークに同士討ちとなり、ドリーがシークを体固め。11点を獲得したファンクスが優勝を飾りました。
試合後にシークはブッチャーに惜別の火炎攻撃を見舞い、地上最凶コンビに終止符を打ちました。
78年が6チーム、79年が7チームと初期の最強タッグは少数精鋭が大会のコンセプトでもありました。
日本側は馬場、鶴田組だけの参加となり戸口、天龍、高千穂らはエントリーされず。
世界最強の看板に拘っていた為か、2年共に極めて順当な結果に終わり、番狂わせや伏兵の活躍などリーグ戦本来の面白味に欠けたのは事実でした。
79年は総じて日本勢の活躍が低調でした。春のチャンピオン・カーニバルはブッチャーが、暮れの最強タッグはファンクスが優勝。
外国人天国は従前に増して加速し、馬場も2月10日、シカゴでブッチャーに勝ってPWFヘビー級王座を奪回したのはいいですが、この年の防衛戦は防衛期限の6か月を超過した8月31日、大阪府立体育会館でブッチャーのリターンマッチを受け、1-1から両者リングアウトの引き分けで初防衛に成功した、この1回だけに留まりました。74年には年14回の防衛戦をこなしていた馬場ですが僅か5年でこうなってしまった訳です。
唯一明るい話題は10月31日に馬場がハーリー・レイスを破ってNWA世界ヘビー級王座に返り咲いたのみで、こちらも予想通りレイスの離日前にはベルトを取り返されており、大きな話題を集めるには至らず。NWA世界戦の中小都市での開催乱発はタイトルの権威を下げると批判されました。
鶴田は2月にハワイでニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に初挑戦し反則勝ちで王座奪取為らなかった以外個人で話題提供するような活躍はなく、大試合で勝てない「善戦マン」の評価をより一層高めてしまったのは残念でした。
また72年10月から6年半続いて来た日本テレビの全日本プロレス中継の放送時間帯が毎週土曜日午後8時からのプライムタイムから4月には毎週土曜日午後5時30分(関東地区)に変更を余儀なくされており、猪木の格闘技戦や海外遠征で派手な話題を提供し続ける新日本プロレスと比べて劣勢は否めず。
全日本マットはファンクス、ブッチャー、マスカラスと言った人気外国人選手の活躍に支えられた1年だったと言えます。
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