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2016年01月27日22:14

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ジャンボ鶴田怪物伝説(224)

78年4月27日、青森県野辺地町立体育館で鶴田は全日本に初参戦となった次期NWA世界ヘビー級王者最有力候補と言われたリック・フレアーの挑戦を受けてUNヘビー級王座防衛戦を行い1-1から首固めで勝ち王座防衛。

若大将時代の鶴田のビッグマッチの特徴としては引き分け試合以外で2フォール奪って勝つ試合は1本は大技で、フィニッシュは首固め、回転エビ固め等の丸め込みを好んで使っていたように思います。

後の説得力抜群のねじ伏せるような勝ち方はまだ見られることは少なく、技巧に走った為、若さがないと揶揄されたこともしばしばありましたが、これはドリー式プロレスの完成形であり、NWA世界ヘビー級王者を勤めるだけの素養はあったと思いますが、引き立て役が出来るタイプではなかったです。

5月11日、馬場、鶴田組は大阪府立体育会館で大木金太郎、キム・ドク組を破り半年ぶりにインターナショナル・タッグ王座を奪回に成功しています。

5月には国際プロレスのレギュラー外国人だったキラー・トーア・カマタが全日本へ移籍。

6月1日、秋田市立体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦。馬場が暴走してマイクのコードやリング下の梯子を使ってカマタを痛め付け16分16秒に反則負け(1本勝負)を喫し、PWFルールにより王座移動。まさかのカマタが第2代王者となっています。

73年2月に世界の強豪を相手に10試合に亘る王座争奪戦を行い3月にハワイのホノルルに本部を置くPWF認定(世界)ヘビー級初代王者となった馬場はこの時迄に5年3か月王座を保持。世界の超一流どころを相手に38回の防衛に成功。

その馬場が何でカマタにベルトを渡したのか?

38回の防衛戦のうち、26回が王者になってから2年以内に行われており、残りの3年3か月で12回。

ワンマンエースであり団体の看板がPWF王座しかなかった(デストロイヤーのUSヘビー級王座はまた誕生の経緯が異なる為除外)時代は頻繁に防衛戦をやっていた馬場も、75年に入ると極端にペースが落ちていきました。

鶴田と組んでのインターナショナル・タッグ王座獲得、日本プロレスにあったUNヘビー級王座が復活、興行の看板となり得るベルトが増えるとPWFの防衛戦は控えられるようになりました。

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