78年1月20日、帯広市総合体育館でハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した鶴田は1-1から60分時間切れ引き分け。
これまでアメリカ修行中のドリー・ファンク・ジュニア、帰国してからのジャック・ブリスコに3回、テリー・ファンク、レイスと5回NWA世界ヘビー級王座に挑戦している鶴田ですが、全て負け試合であり、鶴田はようやくここで「NWA世界王者と互角の引き分け試合」を馬場から許されたのでしょう。
先週16年1月20日に発売された週刊プロレスの中の流智美氏のコーナー「あの日あの時」でこの試合が取り上げられ「史上最も疑義の残った年間最高試合」と書かれており、この試合は東スポプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれました。
鶴田にとっては3年連続受賞であり、この時点で猪木を抜きました。異種格闘技路線を走る猪木にプロレスの名勝負が少なくなったのは事実ですが、このレイスvs鶴田戦は好試合ではありますが年間ベストバウトとなると、やはり?であり、主催者の東スポが全日本と新日本のバランスに配慮したものであることは否定出来ないと思います。
2月5日には後楽園ホールでアントン・ヘーシンクの挑戦を受けてUNヘビー級王座防衛戦を行っています。
73年に日本テレビ主導でキョードートーキョーの嵐田三郎社長が招聘窓口となってプロレス転向したヘーシンクは当初もの珍しさはありましたが柔道の癖が染み着き過ぎてプロレスが上達せず、75年頃からは馬場にとってはお荷物になっていました。
76年5月に来日した時シリーズの途中で発表なく帰国していますが、これは7月に開催されたモントリオール五輪の柔道コーチの仕事が入った為でこの時は残った契約を消化する為の参加でした。
この時馬場がヘーシンクに課したのは柔道家での戦いで、新日本におけるウィリエム・ルスカ、アレン・コージ(バッドニュース)を茶化したものであることは明らかでした。何せオランダの国民的英雄であり、柔道家としての実績とネームバリューはルスカを軽く上回り、アレンに至っては問題外でした。
ヘーシンクはプロレスではこれまで上半身裸で下が柔道着、吊りパンスタイルのタイツにシューズ(74年2月、エキサイト・シリーズのみ)で試合していましたが、今回は外国人枠で出場し上半身に柔道着を着用、フィニッシュにも袈裟固め、裸絞めを多用。
2月4日、館林市民体育館でのテレビ生中継でロッキー羽田を袈裟固めに破ったヘーシンクは翌日にプロレスのタイトルに初挑戦。
しかしこの試合は何とも間延びした展開となり、ヘーシンクはエプロンからリング内の鶴田に裸絞めをかけこれを離さず、レフェリーのジョー樋口はカウントを5つ数えてヘーシンクの反則負けを宣告してしまい、試合は強制終了的に終わってしまいました。
ヘーシンクは2度と全日本というかプロレスに呼ばれることはなく、馬場の「異種格闘技戦なんて所詮はこんなもの。普通のプロレスの方が見ていて楽しいだろう?」という声が聞こえて来そうな試合でした。
2月18日蔵前国技館、21日大阪府立体育会館、22日岐阜市民センターの3大会で前年11月に次いでの全日本と国際の対抗戦に加え、大木金太郎率いる韓国金一道場勢を交えての「日韓三軍激突戦」が開催されました。
第1戦の蔵前のテレビ生中継では馬場とラッシャー木村が75年12月17日全日本、オープン選手権以来の対戦。
この試合、馬場が木村に足4の字固めをかけた状態で木村はロープエスケープ。しかし、特別レフェリーの芳の里はブレイクせず。
木村の上半身はエプロンから場外に逆さ吊りのような格好となり、芳の里はリングアウトカウントを数え始めました。
どう考えも木村がリング内に自力でカムバック出来る訳もなく、11分15秒、馬場のリングアウト勝ちとなりました。
日本プロレスの歴史における団体対抗戦で史上稀に見る理不尽な判定に終わりました。馬場のこの時の勝ち方ははっきり言って猪木より数倍酷いです。
芳の里は「木村には自力で這い上がって来る意志がなかった」とコメントしていますがこれは当たり前で頭に血が昇って危険な状況になって、ブレイクして場外に落としてあげないと危険な状況になっていたかと思います。
21日、大阪では鶴田と木村が対戦。場外乱闘の際、キム・ドクが乱入。鶴田、木村と両方に襲いかかりましたが深追いしたのは木村の方で、ドクにやり返した勢いでレフェリーの全震植にも暴行を加え18分45秒に木村の反則負け。鶴田は木村を助ける訳でもなく1人先にリングに戻っていました。この試合も2月25日、日本テレビで録画中継されています。
木村にとっては不本意なマッチメークが続きましたが、国際の吉原社長は関東ローカル局であった東京12チャンネル(テレビ東京)の限られたエリアでしか普段見られない国際の選手が全国31局ネットが売りの日本テレビの画面に登場するメリットは大きい、と考えており、木村に同情票が集まりそうなこの屈辱的マッチメークを敢えて覚悟の上飲んだと思われますが、東京12チャンネルの国際プロレスアワーのプロデューサー、田中元和氏は「イメージダウンになるから、やめてくれ」と吉原社長に警告していました。
判官贔屓からか、国際の4月スーパー・ファイト・シリーズは売り興行が増えて営業面は一時的に好調になりました。
ログインしてコメントを確認・投稿する