71年11月17日ニューヨーク州バファローでNWF北米ヘビー級と初代NWF世界ヘビー級の2冠王者となったジョニー・パワーズは、3日後の11月20日にオハイオ州クリーブランドでワルドー・フォン・エリックに敗れNWF世界王座から早くも転落。
北米ヘビー級王座は保持し続けました。翌72年、ジョニー・バレンタインがNWFに参戦し9月1日バファローでパワーズを破り北米ヘビー級王者となりました。
バレンタインは10月19日クリーブランドでアーニー・ラッドを降しNWF世界ヘビー級王座を獲得していますが11月22日バファローでラッドに負けて北米ヘビー級王座から転落。
このあたりはNWF世界ヘビー級と北米ヘビー級でベルトのキャッチボールが行われている感じです。さらに翌日11月23日にはパワーズがラッドを降し5度目の王座戴冠。
その後キラー・カール・クラップ、エリック・ザ・アニマル(エリック・ザ・レッド)、J・B・サイコに短期間王座を取られますがすぐに奪回。
73年6月24日ニューヨーク州アクロンでサイコを破り北米ヘビー級王座8度目の戴冠を果たしたパワーズは9月2日、開幕した新日本プロレスの闘魂シリーズに来日。
この日記の最初の部分に書いたパワーズの初の新日本来日時にNWF世界ヘビー級王座の防衛戦を行わなかったのは顔見せ的来日だったからと書きましたが、この時NWF世界ヘビー級王座はバレンタインが保持していたという説もあります。
73年8月にジャック・ルージョーを破ってバレンタインがNWF世界ヘビー級王者となっている記録はありますが、バレンタインからパワーズにベルトが移動した時期が不明です。
10月説もありますが日時、場所まではわかっていません。
バレンタインは闘魂シリーズ中盤の9月17日熊本市体育館から28日広島県立体育館まで新日本プロレスに1度だけ特別参加していましたが、この時NWF世界ヘビー級王者とのアナウンスはされていません。バレンタインがNWF世界ヘビー級王者の扱いであれば、広島の坂口戦でのフォール負けはまず有り得ません。
また、ワーキングビザの不備により開幕戦の9月2日、田園コロシアム大会の試合に出場出来ず乱入だけしたパワーズが北米ヘビー級のベルトを持ってきている証拠写真がプロレス誌73年10月号に掲載されています。
パワーズがこの時点でNWF世界ヘビー級王者であれば格上の世界ベルトを持って来るはずです。
私は以下のように考察します。
パワーズは9月の来日時点ではNWF世界ヘビー級王者ではなく、王者はバレンタインだった。
パワーズは初の新日本プロレスへの来日であり、この時猪木にNWF世界ヘビー級ベルトを売却する話が決定した。
猪木にNWFのベルトを奪われる、つまり引導を渡す相手は、NWF以外の全米のテリトリーで売れっ子だったバレンタインではなく、団体のオーナー兼エースレスラーのパワーズでなければならない。
従ってバレンタインがNWF世界ヘビー級王者であった事は日本のファンには伏せられていた。
帰国後、73年10月にNWF世界ヘビー級王座はバレンタインからパワーズへ移動。新日本プロレスとの契約通り、パワーズはNWF世界ヘビー級王者として12月の闘魂シリーズ第2弾の終盤1週間に行われたワールドタイトル・チャレンジシリーズに北米タッグ王者と2冠王(実際は北米ヘビー級王座と併せて3冠だった)として来日。
12月10日、東京体育館で猪木に敗れ、NWF世界ヘビー級王座から転落し、ベルトは新日本プロレスのものとなった。
というのが私の見解です。これに関しては資料が不足しており十分な検証とは言えず、どなたかご存知の方がいらしたらご一報頂ければ幸いです。
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