77年6月9日、バージニア州ノーフォーク・コンベンションセンターで行われたタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組に坂口、ストロング小林組が挑戦した北米タッグ選手権試合はシン、上田の再三の反則攻撃に業を煮やした坂口がレフェリーの静止を振り切ってシンを痛め付け12分31秒、反則負けとなり王座奪回は成らず。(60分1本勝負)
日本の団体が管理、運営するベルトが海外でタイトル戦を行う場合、その興行の枠を借りるのが一般的です。
今回についてはカナダ・トロントのプロモーター、フランク・タニーからニューヨークのビンス・マクマホン・シニア、ノースカロライナのジム・クロケット・ジュニアに話が迂回しクロケット派の興行で実現しました。
タニーは日本では初期のIWGP実行委員に名を連ねる等猪木派でしたが、基本的には全方位外交でNWAの主力メンバーでありながらAWA、WWWFとも独自交流をしていました。
80年6月29日には全日本プロレスの海外遠征に協力し馬場、鶴田組vsブルーザー・ブロディ、スコット・アーウィン組のインターナショナル・タッグ選手権試合をトロントのメープルリーフ・ガーデンで開催しています。
つまりそれだけ客を入れることの出来るプロモーターだった訳です。
タニー、ビンス・シニア、クロケットの3人は親密な関係にあり、日本のファンが知るところでは82年1月18日、ニューヨークMSGの定期戦の際、新間寿営業本部長(WWF会長)がIWGPのトロフィーを持って行き、ニューヨークに来ていたタニー、クロケット、ビンス・シニアがトロフィーを囲んで一枚の写真に収まり、
当時NWA会長だったクロケットが写真に入ったことで「NWAがIWGPに協力」という「絵作り」をして馬場を激怒させた経緯がありました。
これは前年暮れにスタン・ハンセンを全日本プロレスに引き抜かれた新間が馬場を挑発する意味で仕掛けたもので、実際にはクロケットが新日本とビジネスをすることはありませんでした。
このノーフォーク大会は6月17日のワールドプロレスリングで放送されておりテレ朝のスタッフが現地まで行って収録していますが放送されたのはこの試合のみ。
この日の他の試合は放送されず。クロケットが馬場への配慮からテレ朝での放送許可をおろさなかったと思われます。
ちなみにその他の主な試合はUSヘビー級選手権試合(ケージマッチ)でブラックジャック・マリガンがディノ・ブラボーに勝ち王座防衛。ミッドアトランティック・ヘビー級選手権試合は王者ワフー・マクダニエルがリック・フレアーに勝利。
元北米タッグ王者チーム、ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドスはタイガー・コンウェイ、リッキー・スティムボート組を破り、ポール・ジョーンズはミスターXに勝ち、という記録が残されています。
全日本のレギュラーだったのはワフーだけですが、全日本にまだ来ていなかったフレアー、スティムボートがこの頃からクロケットのところで試合をしているのは興味深いです。
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