馬場、鶴田、天龍のアメリカ遠征第3戦は82年2月21日フロリダ州オキチョビー・クリスタルレイクリゾート。
ここでは18人参加のバトルロイヤルが行われ、決勝でドリー・ファンク・ジュニアが鶴田をオーバー・ザ・トップロープに降し優勝しています。
翌2月22日はフロリダ州オーランド・メモリアルスタジアムでのビッグマッチ。
馬場、鶴田組はジャックとジェリーのブリスコ兄弟とのノンタイトル戦60分1本勝負で対戦。
アメリカではザ・ファンクスと並び称される名タッグチームだったブリスコ兄弟はドリー、テリーが口を揃えて「アメリカでは最大のライバル」とコメントしています。
日本ではブリスコ兄弟と言うと若いファンの方は後年ROHからノアに来たマークとジェイを思い浮かべる方が多いかと思います。
馬場はジェリーを格下の中堅扱いしていた為、実際にジャックとジェリーのブリスコ兄弟がタッグチームとして一緒に来てタイトル戦線に絡んだり世界最強タッグ決定リーグ戦に参加したことはありません。
唯一日本でタッグを結成しているのが74年1月29日、郡山市総合体育館で鶴田、ザ・デストロイヤー組と対戦、デストロイヤーがジェリーを回転エビ固めに破っている記録が残されているだけです。
このシリーズはジェリーがシリーズフル参戦。終盤にNWA世界ヘビー級王者だったジャックが特別参加し、ジャックは8日間に5回NWA世界王座の防衛戦をやっていて息抜き的試合だった為この試合が特に注目されることはなかったです。
地元フロリダでは北米タッグ王者チームだったブリスコ兄弟は馬場、鶴田相手に体格差を感じさせない試合ぶりを見せました。
試合はジャックが馬場をコブラツイストに捕らえたところ、鶴田がコーナーポスト最上段に上がり脳天チョップでカット。
しかし、トップロープからの攻撃を反則とするフロリダ州ルールにより反則を取られ12分1秒、ブリスコ兄弟の反則勝ちとなりました。
馬場、鶴田組は不本意な負けを喫しています。
ドリーとテリーのザ・ファンクス&デビット・フォン・エリックのトリオはジェリー・ローラー、ハックソー・ブッチ・リード、スウィート・ブラウン・シュガー組と対戦しテリーがローラーを片エビ固め。
アンドレ・ザ・ジャイアントはアイアン・シーク、ジム・デュラン組とハンディキャップマッチで対戦しアイアン・シークにフォール勝ちしています。
天龍は大仁田、渕とトリオを結成しドン・ダイヤモンド、テリー・アレン、エリック・エンブリー組と6人タッグマッチで対戦。
ダイヤモンドは未来日に終わりましたが80年4月16日、マイアミビーチで藤波のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座に挑戦しジャーマンで敗戦。
同年12月29日にはニューヨーク・MSGで藤波のWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦し、またもジャーマンに敗れていますが2度にわたってテレビ朝日に登場していますので日本のファンにはお馴染みでした。
後のマグナムTA、テリー・アレンも未来日に終わりました。この後ノースカロライナのクロケット・プロでは次期NWA世界ヘビー級王者の有力候補と言われており将来を嘱望されていましたが86年10月に交通事故で引退を余儀なくされてしまいました。
エンブリーはこの時未来日で81年にメキシコでエル・ソリタリオを降しUWA世界ジュニアライト・ヘビー級王座を獲得した事でゴング誌で早くからまだ見ぬ強豪の1人としてフューチャーされていました。
初来日はこの時から8年半後の90年8月の全日本で92年7月にはW☆INGに再来日しています。
試合はエンブリーがスリーパーホールドで渕をギブアップさせてダイヤモンド、アレン、エンブリー組の勝利となりました。
この日もメインイベントはセントピータースバーグに続いてのダブル・バトルロイヤルでした。
第1試合は馬場、ドリー、テリー、ジャック・ブリスコ、デビット、チャン・チュン(桜田)、ダイヤモンド、ローラー、アイアン・シーク、シュガー、デュラン、エンブリーが参加。
ドリーとデュランが2人残りで決勝進出。
第2試合はアンドレ、鶴田、ジェリー・ブリスコ、ミスター・レスリング2号(ジョニー・ウォーカー)、マイク・グラハム、リード、大仁田、渕、アバランチ・タイラー、エル・グラン・アポロ、グァバが出場しアンドレとアバランチが勝ち残り。
決勝はアンドレ、ドリー、デュラン、アバランチの4人でバトルロイヤルルールで対戦しアンドレがオーバー・ザ・トップロープで優勝しています。
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