馬場とスタン・ハンセンシリーズ最後の前哨戦は82年2月1日、京都・日本正武館大会で行われています。
馬場、天龍、石川隆士組vsハンセン、上田馬之助、ケリー・キニスキー組。
1本目は外国人組がリングアウト勝ち、2本目は馬場がKキニスキーを片エビ固め。
決勝の3本目はハンセンのウェスタン・ラリアットが石川に決まり体固めで2-1でハンセン、上田、Kキニスキー組の勝利。石川は血ヘドを吐いて失神しています。
2月2日は岐阜市民センター大会。(テレビ収録)メインイベントでは鶴田、天龍組vsハンセン、上田組という好カードが実現しています。(60分1本勝負)
このシリーズ、新日本プロレスで長いこと一緒に闘って来た上田が随所でハンセンをサポート。
試合は場外で上田が椅子で天龍の脳天を一撃、リングに意識朦朧状態で上がった天龍にハンセンがラリアットを決めて10分38秒体固め。
セミファイナルではニック・ボックウィンクルとミル・マスカラスがノンタイトルながらシングルで初の一騎打ち。
受身の達人ニックも軽量のマスカラス相手には本領発揮ならず、試合は凡戦となり7分39秒に両者リングアウトに終わり内容は期待外れに終わっています。
馬場はジプシー・ジョーに珍しいデッドリードライブからフォール勝ち。
2月3日、横浜文化体育館(テレビ収録)では馬場、鶴田組にニック、ニコリ・ボルコフ組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合が行われています。
1本目は11分2秒、鶴田がカウンターのキチンシンクに来たボルコフの足を掬ってエビ固めに丸め込んで先制。
2本目は5分12秒、ボルコフが鶴田をベアハッグに捕らえ、そのまま自らしゃがんだ体制で鶴田の上体を抱え込み、そこへコーナーポストからニックがフライング・ニードロップ。
ボルコフが鶴田をフォールしてエビ固め。
決勝の3本目は4分45秒に鶴田がボルコフを回転エビ固め。
いずれも丸め込みながらボルコフが鶴田に2本取られて馬場、鶴田組が12度目の王座防衛に成功しました。
AWA世界ヘビー級タイトル戦を翌日に控えていた為かニックのフォール負けはなく、ここでも新日本から移籍して来たボルコフが馬場の策略の前に犠牲にされた感はありました。
しかしボルコフの試合内容は決して悪くなく、馬場もボルコフのスケールの大きなパワーファイトを気に入ったか、その後2回全日本に呼ばれています。
ハンセンはセミでプリンス・トンガをラリアットから体固め。
マスカラスはアルフォンソ・ダンテスとのメキシカン同士のシングル戦。おそらく天龍の挑戦がなければこの試合がIWA世界ヘビー級選手権試合になっていたかと思います。
試合はマスカラスがダイビング・ボディアタックでダンテスを片エビ固めに降しました。
シリーズ最終戦の行われた2月4日、私は学校を風邪を理由に休んでクラスのプロレス観戦仲間達と全日本プロレスの外国人宿舎だった高輪東武ホテルへ行きました。
お目当てのハンセンは出て来ませんでしたが、ニックとツーショット写真を撮ってもらいました。
当時から身体が大きかった私にニックは「オーキーサン!」と話しかけてくれました。もちろん18歳だった私緊張しまくって固まってしまい、ちゃんと対応出来ませんでしたが。
それから24年後の06年1月22日、ゼロワンMAXに大谷晋二郎とスティーブ・コリノのAWA(同じ組織ではない)世界ヘビー級選手権試合の立会人として来日したニックと試合前に撮影会があり私は参加しました。
この時、私は拙い英語でニックにその時の事を伝えました。
すると、ニックは私の英語を理解してくれたか、手を低くするジェスチャーをして「小さい子供の頃か?」と笑って言ってくれました。
この話は私のキャッチフレーズである「プロレスは長く見続けることにこそ価値のある超長編の大河ドラマである」を地でいくエピソードです。
この他、パット・オコーナーとジプシー・ジョーがいましたので写真を撮らせてもらい、サインをもらいました。
「ヒールに好人物が多い」とよく言われるのは本当です。
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