スタン・ハンセン全日本プロレス参戦第1戦となったのは82年1月15日、木更津市倉形スポーツ会館(テレビ収録)。
ハンセンの初来日は若手時代の75年9月、全日本のジャイアント・シリーズでしたので約6年4か月ぶりの全日本復帰となりました。
会場の木更津市倉形スポーツ会館は超満員の観客で膨れ上がり、観客は6700人発表。
私はこの会場、93年5月30日に1度だけ全日本プロレスを見に行ったことがありますが、どう見てもそんなに入るハコではなく(定員は2100人)3倍以上の水増し発表でした。
日本テレビに取ってもハンセンは大枚使って獲得した大物であり、気合いの入り方が違いました。
成田空港に降り立ったハンセンをテレビカメラが追いかけ、空港から東京のホテルに向かう移動のシーンを撮影しました。
翌日1月16日に録画放送された全日本プロレス中継ではハンセンの成田到着を密着レポ。
初来日の時の映像である75年10月30日、蔵前国技館でのデストロイヤーとの試合(足4の字固めで負け)も放送されています。
ハンセンはセミファイナルで阿修羅・原とのシングル対決。
ジャンピング・ニー、エルボードロップと畳み掛け、2分25秒、強烈なウェスタン・ラリアット一発から体固めで豪快に快勝しています。
この日のメインイベントは馬場、鶴田組がキラー・トーア・カマタ、ジプシー・ジョー組という国際プロレスからの移籍コンビと対戦。
カマタとジョーは国際時代の77年ビッグ・サマー・シリーズで1度だけ一緒になったことがありました。(シリーズ終盤1週間にジョーが特別参加)
8月4日、日立市池の川中央体育館でグレート草津、アニマル浜口組のIWA世界タッグ王座に挑戦し草津が22分55秒にカマタから足4の字固めでギブアップ勝ちを奪っています。
試合は60分1本勝負で行われ馬場が7分42秒、鶴田とのツープラトンによるカウンターキックからカマタをフォールしています。
この日より参戦のミル・マスカラスはスウィート・ブラウン・シュガーとのマスクマン対決でダイビングプレスでフォール勝ち。
ドスカラスは佐藤昭雄と組んでデストロイヤー、こちらもこの日から特別参加となる初来日のアルフォンソ・ダンテス組と対戦。
ダンテスが佐藤を首固めに丸め込んでいます。
天龍はマーク・ルーインとシングルで対戦して両者リングアウトとなっていますが、この日まで参戦だったルーインの全日本ラストファイトとなりました。
73年3月の第1回チャンピオン・カーニバルに初来日し、馬場と優勝をかけて争った(4月21日福井市体育館)実力者で75年まで3年連続チャンカンに来日。
76年2月に来日した後は77、78、81年と新春シリーズの常連となり、81年にはザ・シークのパートナーとして最強タッグに参戦。
全日本一筋のルーインでしたがその後馬場からは声がかからなくなり84年8月にはUWFに現役最後の来日を果たしています。
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