2シリーズ連続参戦となったハーリー・レイスは既にセミリタイアとなっていたラリー・ヘニングをパートナーに指名してのエントリー。
当時は「レイスは何故にヘニング?優勝を狙おうと思えば他にパートナーがいるのに」
と人選に首をかしげるファンが多かったですが、ヘニングはレイスにとっての師匠でした。
北海の獅子王ヘニングは力道山時代の62年4月、日本プロレスの第4回ワールド・リーグ戦にバイキングスタイルのギミックで初来日。
65年1月30日、ミネソタ州ミネアポリスでまだ21歳だったレイスはヘニングと組んで初来日前のディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組を破りAWA世界タッグ王座を獲得。
以後計3回、同王座に就いています。ヘニングはレイスにメインイベンターの何たるかを身体で叩き込みました。
AWAでの契約が終わったレイスはNWAテリトリーに戻り、68年2月に日本プロレスに初来日。
73年5月24日、カンサス州カンサスシティでドリー・ファンク・ジュニアを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得。
しかしこの時は同年7月20日、テキサス州ヒューストンでジャック・ブリスコに敗れ、57日の短命王者に終わりました。
77年2月6日、カナダ・トロントでテリー・ファンクを破り王座に返り咲きしてからは、ノラリクラリとしたスローペースな守りのレスリングで長期政権を維持。
ダスティ・ローデス、馬場(2回)、トミー・リッチに短期間ベルトを奪われましたが、通算4年4か月王座に君臨。81年6月21日ジョージア州アトランタでローデスに敗れて王座転落していました。
移動のストレスから解放され、レスリングをエンジョイしていたレイスはかつての恩人ヘニングに声をかけて最強タッグにエントリーしたという訳です。
ヘニングはこれが全日本初参戦で前回の来日は76年10月の新日本プロレス闘魂シリーズ第2弾以来5年ぶりで、これで70年11月の国際プロレス参加も入れて3団体制覇となりました。
ちなみに最強タッグ開催時期にずっとNWA世界ヘビー級王者だったレイス自身もリーグ戦初参加でした。
バロン・フォン・ラシクとキラー・カール・クラップの「爪コンビ」は外国人側の末席となっていました。
ラシクは79年1月以来2年10か月ぶりの来日、この時は鉄の爪フリッツ・フォン・エリックとのやはり爪コンビで馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦が予定されていましたがエリックが家族の不幸で来日が遅れて実現していません。(ノンタイトルでは対戦)
青銅の爪クラップは全日本初参戦。73年2月に末期の日本プロレスに初来日。
2月22日大阪府立体育会館でジョニー・バレンタインとのタッグで坂口征二、大木金太郎組を破りインターナショナル・タッグ王座を獲得。
3月6日、愛知県体育館で大木、上田馬之助組に敗れ王座転落しましたが、4月の日本プロレス最後のシリーズとなった「アイアン・クロー・シリーズ」に連続参戦。
エリックとの爪コンビがここでも(こちらが先)実現し、4月18日、焼津市体育館で大木、上田組を破り再びインターナショナル・タッグ王者となりました。
4月20日、群馬・吉井町体育館大会を最後に日本プロレスは活動を停止。
ベルトを持って帰国したエリックとクラップは帰国後チームを解散、クラップはサイクロン・ニグロ(カリプス・ハリケーン)をパートナーに同王座を保持(クルト・フォン・スタイガー説もあり)していましたが、73年5月26日、テキサス州アマリロでファンクスに敗れ王座転落。
というのが「正史」ですが、実際にはエリックとクラップは帰国の際ベルトは日本プロレスに返還しています。
74年4月、新日本プロレスの第1回ワールド・リーグ戦に登場したクラップは弱体外国人と言われた新日本の外国人勢の中で大いに気を吐き、予選と決勝リーグの両方で猪木から凶器を使ってのフォール勝ち。
坂口には予選では反則負けも決勝リーグではフォール勝ち。
決勝リーグでは猪木、坂口と同点首位となりました。
5月8日、東京体育館での優勝決定戦では3人による巴戦(先に2勝した者が勝ち)となりました。
第1試合では坂口がクラップに反則勝ちでまず1勝。
続いて行われた第2試合の猪木vs坂口の試合にクラップはジ・インベーダー(ビル・ドロモ)を連れて試合に乱入。猪木、坂口を襲撃し坂口を大流血させて戦闘不能に追い込んでいます。
15分42秒、ドクターストップにより猪木の勝ちとなりましたが坂口は出血多量で棄権。
第3試合の猪木vsクラップが自動的にの優勝決定戦となり7分16秒、猪木が弓矢固めでクラップをギブアップさせ、初優勝を遂げました。
(この項続く)
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