創立10周年記念興行を無事成功に終わらせた馬場は10月12、13日の両日、ネバダ州ラスベガスのサハラホテルで行われたNWA総会にドリー・ファンク・ジュニアと共に出席。
10月11日笠間市民体育館、12日秩父市民体育館、13日佐野市民会館の3大会を欠場しています。
馬場は60年9月30日、台東体育館における田中米太郎(桂浜)とのデビュー戦から、84年4月25日、横浜文化体育館でのドリーと組んでのPWF世界タッグ王座決定リーグ戦でスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組と対戦した際、場外で2人がかりのハイジャック式パイルドライバーを食らって首を負傷。
翌4月26日の大宮スケートセンター大会を欠場し国内連続試合出場記録3711試合でストップしていますが、
これはあくまでも「予め組まれた試合を欠場していない」ことであり、この時や、アメリカ遠征で83年2月のエキサイト・シリーズを欠場(3月3日の最終戦のみ出場)は「試合欠場」には該当しません。
日本側は鶴田がエース代行となりました。
10月11日笠間では鶴田はメインイベントでミル・マスカラスとタッグを結成しハーリー・レイス、アレックス・スミルノフ組と対戦、5分49秒、マスカラスがスミルノフをダイビング・ボディアタックからの片エビ固めでフォール(60分1本勝負)
10月12日秩父では兄の留守を預かるテリー・ファンクと鶴田、マスカラスが豪華トリオを結成しブロディ、ジミー・スヌーカ、バック・ロブレイ組と対戦。
1本目は両チームリングアウト、2本目はテリーがロブレイを回転エビ固めで破り、テリー、鶴田、マスカラス組が2-1で快勝しています。
10月13日佐野では鶴田は天龍と組んでタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組と対戦しシンが天龍にコブラクローでフォール勝ち。
セミファイナルでは昨年14年12月11日、東京愚連隊興行の後楽園ホール大会に揃って来日し大きな話題を呼んだテリーとマスカラスが2人だけのタッグチームを組み、ザ・デストロイヤー、ロブレイ組と対戦、マスカラスがフライング・クロスアタックの連発からロブレイを体固め。
昨年の週刊プロレスにこの試合の模様がカラーグラビアで掲載されたのは記憶に新しいところです。
NWA総会は会長にジム・クロケット・ジュニア(ノースカロライナ)が再任され、第1副会長にはボブ・ガイゲル(カンザス)、第2副会長にはアラバマのロン・フラーが就任、書記長にはジム・バーネット(ジョージア)が選ばれました。
反主流派で新日本プロレスに協力的だったロサンゼルスのマイク・ラーベル、フロリダのエディ・グラハムらは役員から外れました。
日本からは新日本の坂口、新間営業本部長も出席。
新日本は73、74の2年間猪木の名前でNWAに加盟申請をしたものの、馬場の妨害にあって反対多数で却下されていました。
75年にジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)新会長の元、条件付きで加盟が認められましたが、
その条件を聞かされて猪木はNWAに興味を失い(NWA世界ヘビー級王座挑戦は1年以上認めない、馬場と仲良くし互いのテリトリーを浸食しない、全日本に上がっている外国人選手は呼べない等)坂口と新間の個人加盟となっていました。
猪木のNWA世界ヘビー級王座への挑戦は1年どころか永久に認められず、全日本系の外国人も呼べないとあってはもはやNWAにいる意味は見出だせず。
ならば自分自身で新たな権威を作ってしまえ、として制定されたのがIWGPであり、呼べないのなら強引に金で引き抜いてしまえ、というのがこの年に勃発した引き抜き抗争でした。
当然、NWA総会でもこの話題が持ち上がりました。
日本の団体にレスラーのギャラを吊り上げられては困る、とプロモーター達から苦情が出るのも至極当然の話でした。自分達の死活問題な訳です。
しかし馬場に選手をブッキングし、自らも立会人としてVIP待遇で日本に何度も呼んでもらっているクロケット会長は「当事者同士で解決する問題」とこれを棚上げにしました。
10月15日、大分県立荷揚町体育館で鶴田はスヌーカの挑戦を受けてUNヘビー級王座の防衛戦を行っています。この大会は残念ながらノーテレビでした。
スヌーカは6月11日、後楽園ホールで鶴田のUNに挑戦して以来4か月ぶりの再戦となりました。
1本目は10分59秒にスヌーカがダイビング・ヘッドバットから片エビ固め、2本目は5分44秒に鶴田がリングアウト勝ち。
決勝の3本目は5分15秒、鶴田が回転エビ固めで取り、2-1で鶴田が5度目の防衛に成功しています。
NWA総会より戻った馬場とドリーがこの日より戦列復帰。
馬場は天龍とのタッグでシン、上田組に反則勝ち。ドリーはノンタイトルでブロディとインター戦以来のシングル対決を行い両者リングアウトに終わりました。
なお、この日まで特別参加の予定だったマスカラスは13日の佐野大会の試合で膝を負傷。大分大会をキャンセルして帰国しています。
翌16日には新日本プロレスが大分県立総合体育館で興行を行いました。
地元大分県国東郡出身の藤波vsスティーブ・トラビスのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合が開催されテレビ生中継で5500人(超満員)の観客を動員、全日本の荷揚町大会は4300人発表で2週連続しての興行戦争は新日本に軍配が上がりました。
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