81年10月6日、仙台・宮城県スポーツセンター大会では2大タイトルマッチが組まれました。
メインイベントは馬場、鶴田組にブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合。
1本目は8分2秒、ブロディがワンハンドのボディスラムで鶴田を投げつけたところへスヌーカがスーパーフライ(ダイビング・ボディプレス)で片エビ固め。
2本目は3分2秒、鶴田がスヌーカをミサイルキックから片エビ固め。
決勝の3本目は3分40秒に両チームリングアウトとなり、1-1の引き分けで馬場、鶴田組が10度目のタイトル防衛に成功しています。
NWA世界ヘビー級王者リック・フレアーはこの日より出場。
来日第1戦の相手は世界初挑戦となる天龍でした。
1本目は22分59秒、フレアーがブレーンバスターからジャンピング・エルボードロップを決めて片エビ固めで先制。
2本目は5分50秒、天龍がブレーンバスターから片エビ固め。
決勝の3本目は3分40秒、コーナーのフレアーめがけてニーアタックを決めようとした天龍でしたがこれをかわされ、天龍の膝はコーナーマットに自爆。
フレアーはすかさず天龍の足を取ると足4の字固め。粘った天龍もついにギブアップしフレアーが王座防衛に成功しています。
セミ前、ドリーとテリーのザ・ファンクスvs上田馬之助、バック・ロブレイ組はドリーが後方回転エビ固めでロブレイをフォールしていますが、
この後9日の蔵前国技館でドリーのインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦するブロディが乱入してドリーを襲撃。
父ドリーのピンチにドリーに連れられて来日していた長男のディンク君(当時15歳)が助けに入りました。
ブロディはディンク君に対し、なんとキングゴング・ニードロップ!
ディンク君は口から血を吐いて失神、ピクリとも動かず。運ばれて退場しました。
このシーンは10月10日放送(関東地区)の全日本プロレス中継で放送され大きな話題を呼びました。ディンク君は本当に内臓破裂を起こして死んでしまうのでは!?と危惧されました。
このシリーズ、ブロディは減量して来日しています。
日本で鶴田と闘って、鶴田のタフネスさに驚嘆したブロディは「鶴田と互角に闘うには今の体重では駄目だ」と食事とトレーニングで減量に成功していました。
10月27日発売のデラックスプロレス81年12月号ではブロディが特集され、そこでブロディは「プロレス界に革命を起こす」とブロディ革命を宣言しています。
プロレスで日本で初めて「革命」という言葉を使ったのは革命戦士の長州でも飛龍革命の藤波でも天龍革命の天龍でもなく外国人のブロディでした。
翌10月7日は横浜文化体育館大会、メインイベントはフレアーのNWA世界ヘビー級王座に第51代同王者テリー・ファンクが挑戦しています。
1本目は11分24秒、フレアーがエルボードロップからの足4の字固めでギブアップ勝ち。
2本目は3分7秒にテリーがスピニング・トーホールドでギブアップ勝ち。
互いの得意技で1本ずつ取り合った決勝の3本目では3分42秒、両者リングアウトとなり1-1の引き分けでフレアーが王座を防衛。
セミファイナルではこの日より特別参加のハーリー・レイスが登場、スヌーカと組んで、ドリー、鶴田組に反則負け。
また、人間発電所ブルーノ・サンマルチノもこの日より特別参加、初戦ではいきなりブロディとシングルマッチ。
フランク・グーディッシュがブルーザー・ブロディに変身したのが76年秋のWWWF転戦でした。
ブロディは76年9月4日、ニューヨーク・MSG
でサンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦して反則負け。
翌月10月4日、同所でのサンマルチノとの再戦ではフォール負けしたものの一躍メインイベンターの座に踊り出ました。
その因縁のサンマルチノとブロディの対戦は場外でチェーンを持ち出したブロディにサンマルチノも応戦、2分43秒、両者リングアウトとなっています。
同じくこの日より参戦のドン・デヌーチは日本プロレス時代にアジア・ヘビー級王座を賭けて闘った大木金太郎と両者リングアウト。
マスクドXも当初の発表より早くこの日より参戦しアレックス・スミルノフ、ロブレイと組んで馬場、天龍、阿修羅・原のトリオと対戦し原がXを体固めに降しています。
この大会はノーテレビだったのが惜しまれます。
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