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2015年11月01日01:23

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関ヶ原史料「秀頼様の約束?」大坂決起三〇号

○時間が前後しますけど、七月十四日の手紙に戻りましょう。書いたのは石田三成で、宛名は上杉家の直江兼続です。「二四号」の嘘くさい手紙に同じく、江戸時代の読み物『続武者物語』から採録されたもの。ゆえに嘘くさいシロモノです。

●手紙三〇号「六月二十九日のお手紙が到着。そちらの各方面口は防備も堅く命じられたそうで、大慶これ以上はないというもの。前の手紙でも書きましたとおり、越後は上杉家の本領なのですから、中納言殿へくだされると、秀頼公が内々に御約束くださいました。越後を手に入れる手順も手段も、ご油断なきように。中納言殿が解雇して、越後に残った浪人たちも、歴々の者がいるそうで、柿崎三河守、丸田右京、宇佐美民部、万願寺、加治などを味方につけるというのは、なるほどと思います。このようなときですから、少しも油断があってはなりません。堀久太も大坂側へ御奉公の意思で、能登へは上条民部を派遣するものと思います。なお、おいおい伝えるつもりです」

○一読してわかるように、石田と直江の「事前の共謀」を示す手紙です。「二四号」に比較すると、書式もまともなようですし、書いている内容も特におかしいものではないようでいて、実は「とんでもない」手紙なんですね。もともと「越後」新潟県を領有していた上杉家は、会津に移って「山形県の置賜郡なども含めて百二十万石」となりました。ゆえに手紙では「元の領地の越後もあげる」と言っているわけですが、そこに「秀頼公が内々に御約束くださいました」の言葉があるのです。原文では「秀頼公御内意に候」です。もしも本当に石田三成が、こんなことを手紙に書いたのなら、石田は「とんでもない大嘘つき」ですよ?

○豊臣家の統治権は、もちろん秀頼が持っています。しかし、十歳にも満たない子供に統治能力などあるはずもないわけですから、誰かが全権代行を務めなければならないのです。これを「摂政権」と言います。とはいえ「摂政」という言葉は、日本史の用語だと「幼少の天皇の全権代行者」の意味となるため、それ以外の意味で使用される例など、史料の中にもありません。けれど西洋史では「王権の全権代行」を意味する「リージェント」の訳語で「摂政」の言葉が使われているのです。つまり、どんな日本語表現になるのであっても、「豊臣家のリージェント」がいるはずだし、いなければ、封建社会のシステムとしておかしいのです。仮に「リージェントなどいない」とした場合、ここで石田のしている行為の意味がわかりますでしょうか。「認知症の高齢者に、成年後見人が付いていないのをいいことに、高額商品の購入契約書を次々と書かせて、ボロ儲けしている詐欺同然の商売」と、同じことをしているわけじゃないですか。リージェントがいないとしても、「判断力のない幼君に政治決定をさせる」なんて、家臣として「絶対にやってはいけないこと」のはず。リージェントがいるならば、秀頼自身の全権は停止されているので「約束しても無効」なのです。こんな基本もわからないほど、石田三成がバカだとは思いませんので、この手紙は偽書ですね。

○今までの話の中で「安国寺の矛盾」を書きました。「石田の計画に加担していて、計画内容も知っているはずなのに、大坂へ戻ってきた最初、石田が謀反のようだと報告した」という不思議な行動。実はこれも「リージェントの存在」を前提にすることで、簡単に謎が解けるのです。定説解釈においては、「秀吉の死後に家康が勝手な政治をした」とされていますが、そういう「勝手なことができる」のも、家康が「豊臣家のリージェントだから」なのではないでしょうかね。では、その家康が大坂にいないとき、誰が最高決定権を持つのでしょうか。行政権だけなら奉行衆の合議で決定できても、軍事権は別格なんです。これだけは、誰かが家康に代わって「全権代行代理」になる必要があるのです。それができる人物は、家康に同じく「大老の立場である者」ぐらいでしょうし、だからこその「安国寺」なのです。安国寺は、「石田が謀反となれば、家康様が戻るのでは間に合わない。豊臣家の軍事権を一時的に代行してもらうため、輝元様を呼びましょう。私が事態の説明に行きますから」と提案。信じた奉行衆は、「輝元様、すぐに来てください」と手紙を書き、同時に「家康様、早くお戻りください」の手紙を書いたろうことも、「手紙四一号、榊原の秋田宛て」から推測できます。文中に「秀頼生母と三奉行が、家康は早く上洛を、と伝えてきた」とありましたからね。さらに推測を加えると、帰還要請の手紙で「輝元の一時的代行」も報せた可能性。ゆえに徳川家では、「毛利が石田に同調」の情報が来たあとも、真偽の判断に迷っていて、各地へ伝える手紙では「毛利のことに触れていない」のではないでしょうか。ともあれ、これで家康不在の間、全権代行代理を務める者は、前田でもなく宇喜多でもなく「毛利輝元に確定した」と言えるでしょう。そのうえで安国寺は「輝元を味方に抱き込んでおく工作」に行ったのです。だって石田三成は、これから「徳川打倒の挙兵をしたい」わけじゃないですか。自分では使えない「豊臣家の軍事権」を、自分の味方となって「使える人物」が欲しいに決まっていますよね。安国寺が最初に「石田の謀反」を言ったのは、「謀反の対処」だからこそ全権代行代理が必要となるわけで、これによって「家康から軍事権を奪う」わけですよ。石田三成の計画は、このくらい「手が込んでいる」と思いますけどね。
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