写真1は庫内作業用2軸ボギートロッコ、1975/6/7茨城交通湊線那珂湊車庫。茨城交通湊線の近くにあった旧日本軍鉄道連隊の九七式軽貨車が前身です。全長7.3m、自重2.2t、荷重8t。除草剤を入れるポリタンクを搭載して線路の草取りに使用されていました。茨城交通
ただいまMBSI 日本支部発行が発行するオルゴールのCDを製造中です。アンティーク・オルゴールの魅力Vol.6、58曲で71分38秒ものテンコ盛りサービス!常連のポリフォン(19インチの最もポピュラーなもの)、レジーナ(家庭用標準機15インチ)と、音に特徴のある
またまた車庫の裏側で〜〜・・・。写真1は能勢電鉄の架線修理台、1967/4/16平野車庫。建設工事真っ只中の平野車庫で、阪急の384と共に側線の端に留められていた架線修理用の櫓(ヤグラ)です。全く役に立ちそうにない折り畳み式の柵が見えます。手持ちのトロ
わがMBSI日本支部機関誌「自鳴琴43号」の印刷や発送作業に追われている間にアメリカの本部から機関誌Mechanical Music58巻2号が到着していました。いつもは主な記事が4〜5本あるのですが今回は1本だけ。シリンダー・オルゴールの世界で重要なメーカーの一つで
写真1は国鉄の盛岡鉄道管理局に所属するダンプ式の陸運車リム300形リム477、1966/8/6同和鉱業小坂鉄道線小坂駅。鉄道線路に散布する砂利を作業の現場まで運搬するには、陸運車(記号はリ)という背の低い無蓋車が使われていました。機械が無かった古い時代に
先週から毎度毎度・・・相変わりませずバッタバッタとMBSI 日本支部の機関誌「自鳴琴43号」の印刷と発送作業に追われてました。キャノンのレーザープリンターLBP-7600Cが印刷作業デビューです。モノクロ写真はトナー濃度を大幅に薄く調整しないとマックロケ〜
写真1と2はヤ110形ヤ110、写真3はヤ150形ヤ150、1969/3/8国鉄東海道本線尼崎駅保線区。永年列車が運行していると細かく粉砕されたバラストや路盤から噴出してきた泥などが道床に溜まって線路の柔軟性が失われ、軌道が陥没したり変形したりして事故の原因とな
国鉄で貨物輸送が華やかだったころ、小さな貨物駅では機関車としての車籍を与えられていない機械扱いの小型機関車モドキが貨車の入換作業に活躍していました。写真1は1963年3月下旬から4月にかけて京浜工業地帯の塩浜地区にある大きな倉庫の横を通った時に見
オルゴールの愛好家団体「MBSI 日本支部」の機関誌「自明琴」の印刷に使用していたエプソン製LP-9000C(2004年製5万円弱)というA3レーザープリンターの消耗品供給がメーカーから打ち切られてしまいました。代替機としていろいろ検討した結果キャノンのA4プリ
またまた車庫の裏手で、廃物あさりをやっていた話です。写真1は国鉄 クモニ13形クモニ13001、1975/6/29近江鉄道彦根車庫の側線。当時の近江鉄道は空いている側線を利用して廃車になった国鉄の車輛を解体してスクラップにするビジネスを手掛けていたようです。
先日(2/15と2/19の私の日記参照)ご紹介したミルハウス・コレクションのオークションが2/24と25の両日に行われました。最高価格は残念なことに楽器ではなくて写真1の自動車。オールズモビル1912年形、エスティメイト(落札予想価格)が$1,600,000で実際の落
写真1はED14形ED14 1、写真2はED14 3、1975/6/29近江鉄道彦根車庫。1926年鉄道省はアメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社から直流用電気機関車1060形1060〜1063の4輌を輸入しました。1928年の車両形式称号規程改正によりED14形ED14 1〜4に改番。1988年の
写真1はED31形ED31 2、写真2はED31 4、写真3はED31形ED31 5、1975/6/29近江鉄道彦根車庫。1923年伊那電気鉄道(現在のJR飯田線の一部)は凸形電気機関車デキ1形1〜6の6輌を芝浦製作所(電装品)と石川島造船所(機械部分)で製造1943年の戦時買収により国鉄籍
写真1はED4000形ED4001、1975/6/29近江鉄道彦根車庫。1928年イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社(E.E.)で1輌だけ製造された箱型デッキ付き電気機関車、所謂デッカーです。1930年になってから東武鉄道の最初の電気機関車ED10形ED101として車籍を得てい
写真1と2はクハ1207形1207、1975/6/29近江鉄道彦根車庫。このクハ1207は極めて複雑怪奇な経歴を持っています。たった1輌のために1642字もの説明を書くのは初めて!その履歴書はは1898年の近江鉄道開業に備えて福岡鉄工所で木造区分室式4輪客車「は1形」初代「
写真1はモハ135形135、写真2はクハ1210形1210、1975/6/29近江鉄道彦根車庫。1947年に東京急行電鉄品川支局(大東急時代の京浜急行)は木造車の改造名義で三井玉野造船所でデハ5400形を10輌製造しました。1948年東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離、デハ5400
近江鉄道の彦根工場は長い歴史を持ち、車輛の改造に関しては大変優れた技術を持っています。明治末期から大正時代にかけて2軸客車2輌の台枠と車体を結合してボギー車に改造するという大がかりな改造工事を実施しました。戦後の車輛事情が切迫した時はあちこち