写真1と2はC53形C53 45、1966/7/10、写真3は1970/3/17、共に交通科学館。1928年と1929年に鉄道省はC53形3シリンダー式蒸気機関車を汽車製造と川崎車輛で計97輌製造しました。写真のC53 45は1928年に汽車製造で作られました。狭軌で幅の無い内側台枠の中にシリ
写真1は230形233、1970/3/17交通科学館、写真2は1964/9/4国鉄鷹取工場。1961年に大阪環状線全通を記念し、大阪環状線弁天町駅の側に「現代・未来の交通に関する展示を中心とした交通科学館」が開館しました。私が関西学院大学在学中に鉄道研究会に所属してお
写真1と2は国鉄C56形C56111、1978/1/16兵庫県宝塚市雲雀丘所在の雲雀丘学園小学校。近くの阪急電車宝塚線は能勢電の撮影など時々利用していましたが帰路、雲雀丘花屋敷駅を出るとすぐ海側の雲雀丘学園の校舎の中に黒い蒸気機関車が置いてあるのが眺められまし
写真1は620以下4輌の列車、1971/3/7伊丹線新伊丹駅。古いデザインの90形が伊丹線を去って、ゴツゴツなデザインの600形が活躍していました。そのあとはズングリムックリの610系が伊丹線の天下を取りました。写真2は610形610、1976/3/7伊丹線伊丹駅。登場した頃
写真1は550形2連、1965/2/3阪急神戸線武庫川橋梁。550形は晩年伊丹線や箕面線で運用されていました。写真1は冬の寒い日に伊丹線の運用を終えて、ねぐらの西宮北口車庫へ回送される550形です。写真2は550形565、1965/2/3神戸線西宮北口車庫。阪急電鉄は太平洋
写真1は阪急伊丹線の終着駅伊丹駅の改修前、1963年頃の撮影です。阪急電車はサイト・オーナーにとって、沿線に60年間住んでいて身近な鉄道です。よく撮影に行ったので写真がありすぎてどこから手をつけてよいのやら・・。そこで小型車が最後に活躍していた伊
25年前に庭に植えた林檎クンが、やっとマトモな大きさの実を付けました。写真1は今年4月の花、写真2は7月の青リンゴ状態、写真3は立派に色づいたリンゴクン。毎年花は立派に咲くのですが、実が食べられるぐらいの大きさ(直径5センチ)まで育ったのは2年前の
写真1〜3は1968/5/26、京福電鉄電鉄叡山線市原〜二の瀬間の貴船川橋梁。この貴船川橋梁は叡山線で鉄道ファンの間で有名なところです。 5月の新緑が眩しいくらいでした。 私は綺麗な景色の中を電車や汽車が走っているだけの写真には興味が持てませんでした。こ
写真1はデワ101形101、1977/4/18叡山線修学院車庫。1927年に京都電燈が叡山線の事業用として日本商会でデワ101形デワ101を製造しました。実際は京都電燈嵐山線の1形を改造したものです。嵐山線にも同じ設計でフモ501が製造されました。全長8.1mの四輪単車でデ
写真1はデナ500形503、写真2は507、1977/4/18叡山線修学院車庫。写真3は508、1977/4/18叡山線修学院駅。1928年に阪神電鉄は田中車輌で831形831〜840の10輌、1929年に川崎車輌で841〜850の10輌、計20輌を801形の増備車として製造しました。1963年に4輌廃車。19
写真1はデオ300形301、1961年7月下旬 叡山線修学院車庫。1959年京福電鉄は叡山線用としてデオ300形301と302の2輌を日立製作所で製造しました。75kwのモーターを4台搭載し、当時としては最新鋭のカルダン駆動、15.6mの長い車体を持っていました。写真2はデオ30
オルゴールの愛好家団体であるMBSI 日本支部の機関誌44号(写真1)がやっとのことで発刊。発行目標6/15なのに実発送日は8/12!私が書いたメインの記事は初期のオルゴールについての翻訳。写真2の懐中時計に組み込まれたオルゴールはファン・タイプ(sur plate
写真1はデナ21形125、1961年7月下旬 叡山線修学院車庫。写真2はデナ21形126、1977/4/18叡山線修学院駅。1928年鞍馬電気鉄道は日本車輛でデナ121形121〜124の4輌を製造しました。1929年に鞍馬線の勾配区間に備えて4個モーターの125と126が増備されました。この
写真1はデナ1形、1964/6下旬 叡山線修学院駅付近。写真2はデナ1形廃車体、1973/6/3叡山線修学院車庫。1925年叡山線の開業に際して日本車両でデナ1形1〜6の6両が製造されました。全長12.3m、片開2ドアの小型木造車で、珍しくドイツのマン製台車とイギリス製電
ニューセンチュリーというオルゴールの続きです。ニューセンチュリーの最高級品は18インチ1/2のディスクを使用するもので、7000シリーズのディスクを使用する312形と8000シリーズのディスクを使用する412形が製造されていました。312形と412形ではディスクの
ニューセンチュリーというブランドのディスク・オルゴール(写真1 シリアル番号は3018)を見て聴いてきました。4枚で構成された櫛歯はダブル・デュプレックス・マンドリン・トレモロ・オクタボと名付けられた複雑なもの。普通のディスクオルゴールだと100本程度
突然ですが今朝日程が決まりました、あさっての日曜日午後に、とあるオルゴールサロンに行ってきます。どうもここはアンティークオルゴールの販売を縮小するような噂を聴いております。ここで一番印象に残ったのは、写真1〜3のニューセンチュリーというマコト
写真1と2はデ80形81、写真3は83、1970/1/24近鉄高安検車区。1923年と1924年に吉野鉄道(後の近鉄吉野線)は、スイスのブラウン・ボベリー社から凸形電気機関車1〜3の3輌を輸入し、吉野杉の搬出等に活躍しました。1929年大阪電気軌道が吉野鉄道を合併。1〜3は
写真1はモト50形51、写真2は52、写真3は54、1971/9/8近鉄西大寺検車区。1969年近鉄は奈良橿原京都線で交換用レールの輸送など保線用として運用する無蓋電動貨車モト50形51〜54の4輌を近畿車輛で製造しました。元奈良電気鉄道デハボ1000形、後の近鉄モ430形モ4
写真1はモワ60形61、1971/9/8近鉄奈良線大和西大寺駅。1963年の近畿日本鉄道との合併では奈良電鉄デハボ1002〜1024の23両が継承されモ430形431〜453と改番。1969年モ445(旧デハボ1016)がモワ61形61として電動貨車に改造と昇圧工事が施工されました。1971年