私の母校関西学院大学学の地域貢献活動の一環として、関学学生会館の依頼により鉄道研究会OB(一応私も)を中心に、鉄道模型の運転会が行われています。会場で一番広い面積を占めているのが今回の目玉、写真1の Gゲージの大型鉄道模型。縮尺は1/22.5、さすが
写真1は2000形2001、1971/5/1市内線広島駅。1960年広島電鉄は宮島線直通用としてナニワ工機で2000形第一次車2001〜2003の3輌を新造しました。1974年に行われた連結改造の対象にならなかった2001だけは、単行で運用されていました。後に千田車庫での事業用(牽
10分ほど前にイギリスから100年前に造られたオルゴール用ディスクのカタログがメールで届きました。メーカーとサイズは多く、数は全部で2000曲ほど。カタログは43ページもあり、小さな文字で目が痛い。プリンターで出したら、厚さが5mm!前から探していたもの
写真1は800形802、1971/5/1市内線広島駅。1951年広島電鉄はナニワ工機で800形801〜810の10両を新造。1976年写真1の802はワンマンカーに改造されることなく廃車。800形が早く廃車になったのは、扉の位置が前後端でワンマン化改造が困難だったためです。写真2は
写真1は750形758、1971/5/1市内線広島駅。元大阪市電1637で758となって就役。1979年に花電車用台車、貨50形52へ改造。しかし現在はカバーをかけた状態で荒手車庫に放置されています。写真2は750形763、1971/5/1市内線広島駅。1940年大阪市電は遊休状態であっ
写真1は初代600形601、1971/5/1市内線広島駅。1942年広島電鉄は加藤車両で高床式3扉車、初代600形601〜603の3輌を新造しました。1945年原爆が投下された時、601は電車宮島駅に停泊中で被害を免れています。写真2は650形652、1971/5/1市内線広島駅。1942年に広
オルゴールの友人からスイスにあるボー博物館( Musée Vaud オルゴールなどの博物館 )で制作されたDVDを貸してくれました。とても貴重で珍しいごく初期のシリンダー・オルゴールが動いている様子が収録されています。1796年にオルゴールの初めての特
写真1は350形352、1971/5/1市内線広島駅。1958年広島電鉄がナニワ工機(現在にアルナ車両)で850形851〜853の3輌製造。1971年350形351〜353に改番。1975年ワンマン化。1984年冷房化。現在でも市内線で全車が活躍中。写真2は570形592、1971/5/1宮島線荒手車庫
写真1は広島電鉄宮島線広電宮島口駅を発車して行く直通低床連接車2502とプラットホームで乗客を待っている高床車1033、1972/5/1広電宮島口駅。宮島線終点には写真のように白く塗装された下見板張りで、アメリカ風のスタイリッシュな信号取扱所がありました。
写真1と2はモハ1040形1041と1042、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。1922年と1923年に梅鉢鉄工所で作られ、千田車庫で火災に遭ったD形D8とC形C2を自社工場で流線形車体を新造して復旧し、さらに1957年に連接車に改造したものです。明るい行楽地向けの電車です
写真1は1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫前駅(現在の商工センター入口駅)。白い砂浜、緑の松林、明るい陽光の下で宮島線専用の高床車と広島市内から直通の路面電車が仲良く走っていました。もちろんプラットホームは高床車用と低床車用が並んで設置。写真2は
写真1はED20形ED201、1977/3/21北陸鉄道石川総線新西金沢駅。1938年金沢電気鉄道(後の北陸鉄道石川総線)が大阪府堺市にあった木南車輌製造でED1形電気機関車ED1号を製造しました。この電気機関車は南海電鉄に多数在籍していた木南車輛製造製の、独特の車体
写真1はモハ3750形3751、写真2はモハ3760形3761、 写真3はモハ3770形3772、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来車庫。モハ3750形とモハ3760形は北陸鉄道オリジナルの電車ですが、かなり複雑な経歴を持っています。モハ3770形は愛知電気鉄道から名古屋鉄道を経て北
写真はED300形ED301、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来車庫。石川総線に属する金名線沿線の手取川の支流である大日川で、大日川ダムと大日川第1、第2発電所の建設が1952年から始まっていました。そのため大量の資材輸送に備えて、従来の小型凸形電気機関車2輌に
写真1はモハ3700形3703、1977/3/21北陸鉄道石川総線鶴来駅。元は名鉄のモ700形で、北陸鉄道入線の時にかなり大規模な改造工事を受けています。特に妻面に貫通扉を設けたので、大きく印象を変えました。増強されたシールドビーム2灯のヘッドライトはデザイン的
オルゴールの修理を手掛けているAさんが工房を移転したというので、新しい工房を見物してきました。建物は堺市の郊外にある小さな貸し工場、小さな作業場の建物が何棟か建っている中の一角。隣の作業場は空っぽ、不景気で工場を閉めたところが続出とのことで