MBSI 日本支部年次総会の翌日は美術館。名古屋にある工作機械メーカーのヤマザキマザックが収蔵していた美術品コレクションです。18世紀から20世紀のフランス美術がメインで、今は「ロココの雅 華麗なるフランス宮廷時代」と題して、所蔵のロココ絵画と描か
からくり人形と特殊なマイクロフォンの話題です、オルゴールの愛好家団体であるMBSI 日本支部の年次総会が6/18〜19に名古屋で開催されました。ごちゃごちゃと議事が終わった後で、会員の西洋骨董のディーラーさんから「オルゴールの録音とか大きなステージや
いや〜〜えらい目に遭いました。ウイルスです。しばらくmixi日記のUpが遅れます。ノートンは無力、真っ先にウイルスによりノートンが駆除されてしまいました〜。後はウイルス側のやりたい放題、ドライブCが放火されて、まったくの焼け野原になってしまいまし
写真1はモハ3000形3001、写真2はモハ3000形3004、写真3はモハ3000形3005、北陸鉄道小松線小松車庫。就役当初は石川総線で活躍したモハ3000形は5輌と、まとまった数が作られたので転属も5輌まとまって実施されました。1964年に北陸鉄道金石線(カナイワ)線に
近所の方の紹介で西宮市内にある重症心身障害児施設 砂子療育園でオルゴールの演奏会をやりました。いままでいろいろな所で演奏会をやりましたが、重症心身障害児は初めて! インターネットで情報を集めてたんですが、心配が募るばかり。オルゴールの世界は
写真1はクハ250形クハ252、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。1937年、1938年と1940年に神中鉄道(現相模鉄道の相鉄本線)が日本車輌で新造した流線形ディーゼルカー→ 1944年に相模鉄道と神中鉄道の合併後はエンジンを降ろして客車化→東急と合併した頃は電
写真1はモハ3121形モハ3121、1976/6/4上田交通別所線上田原車庫。1936年に開通した善光寺白馬電鉄が開業に備えてゼ100形ゼ100とゼ101の2輌を日本車両製造東京支店で新造しました。ややこしい途中経過の後に上田丸子電鉄丸子線へ譲渡され、後に電車に改造され
写真1はモハ5251形モハ5251、写真2モハ5252、1976/6/4上田交通別所線上田原駅。1928年に株式会社上田温泉電軌(後に初代上田電鉄→上田丸子電鉄→上田交通→2代目上田電鉄)が日本車輌製造でデナ200形201〜203の3両を製造。半鋼製車が登場した頃は木造車の設
久しぶりに非鉄の話です。昨日の話ですが、近所の方の紹介で、私が住んでいる西宮市内にある重症心身障害児施設砂子療育園の職員の方がオルゴールを聴きに来られました。どうもアンティーク・オルゴールは初めてようで、手持ちのオルゴールを総動員して聞いて
またもや鉄ですみません。私のようなヘソマガリな鉄道ファンはこのような車庫の裏手に興味があります。写真1は151形151、写真2は152形152、写真3は154形154、共に1977/4/3阪神電鉄尼崎車庫。151は1965年に武庫川車両工業で1121形1140から改造されました。大阪
写真1は5102、写真2は5231、1977/5/2芦屋駅。写真3は7101、1977/5/8芦屋駅。私の鉄における興味は地方の中小私鉄や専用鉄道に偏っていました。今回阪神電鉄の歴史を紐解いてみると、地方の中小私鉄では考えられないような大きな変革や試練を、何度も通過して