写真は1972年冬撮影の吉野口駅での入換作業。機関車と乗務員は近鉄在籍でしたが、入換作業に携わっていたのは国鉄職員でした。関西では貨物営業をしている大手私鉄は珍しいもので、ある寒い日に近鉄の吉野口での入換作業を撮影に出掛けました。短い貨物列車、
写真1はデ61形デ63、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。これは大阪鉄道が1927〜1928年に三菱造船で4輌製造したデキA形1001〜1004の一員です。写真2と3はデ61形デ63、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。元々は南海鉄道が1923年に藤永田造船所で製造し
ここんところしばらく鉄臭くなってしまい、カタギの皆さんにご迷惑を〜〜。久しぶりの常識人の話題ですぅ。かねてからMBSI 日本支部で制作中のCDですが、やっと昨夜メール便で最終校正版を音源提供者と編集担当者の許へ送り出しました。今回はシリーズの4番目
写真2はデ51形デ51、1972年近鉄吉野線六田車庫にて。吉野鉄道が19129年に川崎車輌で製造した電気機関車です。当初は吉野山系で伐採された木材などの貨物輸送に運用されていました。近鉄になってからもずっと南大阪線吉野線から離れることなく長く使われていま
写真1はモ6001形モ6009を先頭とする準急列車、1972年近鉄吉野線吉野口駅にて。吉野口駅は国鉄(和歌山線)が管理している近鉄との共同使用駅です。駅舎などは国鉄の古い風情のある建物を残しています。貨物営業も盛んで、貨物上屋や入換ヤードも備えていまし
写真1はモ5201形モ5202、写真2はク6501形ク6512、写真3はモ5211形モ5211、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。吉野鉄道は大阪鉄道を経由して大阪阿部野橋へ乗り入れるために1929年に川崎車輌兵庫工場でモハ201形201〜206の6輌とサハ301形301〜314の14輌を製造
写真1はモ6600形モ6621、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。このモ6621はウインドウ・シルが帯板状に改造されています。写真2はモ6600形モ6621、1971/10/3近鉄南大阪線古市車庫にて。日本で最初に作られた鋼製20mクラスの電車だったので、重い主台枠の上にリ
昨日の話ですがリコーダーの演奏団体アンサンブル tutu の演奏会を聴いて来ました。声をかけてくださったのは去年の10/31(日記は11/2)に私が所属しているオルゴールの倶楽部「MBSI 日本支部」秋の大会で、骨董品のピアノ数台を作られた時代(1700年から1900
写真1はキハ310形キハ311、1974/5/19水島臨海鉄道水島車庫にて。この車はエンジンの開発と戦争による燃料統制に振り回されて複雑な経歴を辿っていました。写真2と3はキハ305形キハ305、1974/5/19水島臨海鉄道倉敷市駅側線にて。このキハ305は当初中国鉄道(現
写真1はキハ320形キハ321、1974/5/19水島臨海鉄道倉敷市駅にて。この車は1952年に戦後の増備車としてキハ42000形キハ42618として国鉄大宮工場で作られました。戦前製と区分するために600番台となり、当初からDMH17型ディーゼルエンジンを搭載していました。ヘ
写真1はキハ300形キハ301、1974/5/19水島臨海鉄道水島機関区にて。このディーゼルカーは北海道の炭坑が経営する夕張鉄道のキハ300形キハ301として1958年に新潟鉄工所で作られた半鋼製2軸ボギー液体式気動車です。写真2はキハ300形キハ302。元夕張鉄道のキハ30
写真1はDD500形DD504、1974/5/19水島臨海鉄道水島機関区にて。水島臨海鉄道は改良前の国鉄西岡山駅における入換業務を受託していて、同駅にディーゼル機関車を常駐させていましたが、受託の終了に伴い1991年にDD503とDD504は廃車となりました。 写真2はDD500
やれやれ〜〜〜〜〜〜〜!!! ・・やっとのことでオルゴールの倶楽部の機関誌が完成しました。連日の深夜業、プリンターの不調と突然のトナー切れ、DTPソフトのバグ、製本器の故障を乗り越えて目標1/15の前日に完成! 夕方に国内向けだけ発送、プリンタ
以前MBSI 日本支部の大会でオルガニート20のすばらしい編曲を披露してくださった宮本由利子さんが新しいCD(R-0821167 写真1)を出されました。注記 オルガニート20(写真2)とは細長い紙に音楽信号となる穴を開けて、手回しで演奏する小型オルゴールです。