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2025年01月19日10:37

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(13)

第334戦、4月3日発売号●【予想】馬場がNET「ワールドプロレスリング」に登場、馬場&坂口征二組vsディック・マードック&マイティ・ブルータス組(72年日本プロレス新潟市体育館)【正解】世界プロレスの構造改革、IWGPが華麗にお披露目、IWGP発足式(81年4月1日新日本プロレス新宿・京王プラザホテル)

※参考 2019年4月3日発売号は●【予想】長州、藤波を破りWWFインター王座を獲得、WWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合、藤波辰巳vs長州力(83年新日本プロレス蔵前国技館)【正解】「春の本場所」を常に牽引した“魔王”ならではの知性、馬場vsザ・デストロイヤー(67年4月7日日本プロレス後楽園ホール)この時点での対戦成績は79戦17勝62敗、勝率215。2013年4月3日発売号は強気の本隊との同日興行。猪木が福岡で格闘技戦を敢行!格闘技世界一決定戦、WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合、猪木vsレフトフック・デイトン(79年新日本プロレス福岡スポーツセンター)

【予想解説】69年7月2日からNETが「ワールドプロレスリング」の放送を開始。先行の日本テレビ、NETの2局放映で隆盛を誇っていた日本プロレスは71年12月、会社乗っ取りを企てたクーデター犯として猪木を除名・追放処分にしています。

猪木は独立に向けて動き出し、翌72年1月には新日本プロレスの法人登記を済ませ、26日に設立記者会見、29日には世田谷区野毛の猪木の自宅を改装して作った道場兼合宿所の「道場開き」を行いました。

自局のエースである猪木の試合が放映出来なくなったNETでは日本プロレスに馬場の試合を放送させるよう強く要請。

69年に後発のNETが日本プロレスの放送を開始する際、日本テレビとは「馬場、坂口征二の試合とワールド・リーグ戦の公式戦は放送させない」という約束でNETの放送を認めさせましたが、坂口の試合とワールド・リーグ戦公式戦はなし崩し的にNETで放送されましたが、馬場だけは日本テレビが許しませんでした。

しかし、看板レスラーだった猪木に抜けられてはNETも視聴率の問題もあり、今度ばかりは強硬に出ました。日本プロレスでは役員会を開いて馬場のNET登場を賛成多数で決め、4月3日の「ワールドプロレスリング」から馬場が登場。

メインイベントで馬場は坂口との「東京タワーズ」を結成し、マードック&Mブルータス(ザ・ブルート、バグジー・マグロー)組と対戦。1本目は10分3秒、馬場がマードックをエビ固め、2本目は10分14秒に両チームリングアウトで1−1となり2−1で馬場&坂口組が勝利を飾りました。

日本プロレスとしては「御家の一大事だけに日本テレビもわかってくれるだろう」と思っていましたが、日本テレビはこれに激怒。

5月12日、東京体育館での馬場vsゴリラ・モンスーンの第14回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦の中継を最後に、54年以来放送してきた日本プロレスの中継をあっさりと打ち切ってしまいました。

馬場は7月29日、日本プロレスに辞表を提出、日本テレビをバックに独立の動きを見せ、9月9日に新団体全日本プロレスの旗揚げを発表しました。

馬場、猪木に去られた日本プロレスは坂口征二、大木金太郎の2大エース体制で持ちこたえようと島したが、観客動員、テレビ視聴率は下がる一方、NETの三浦甲子二常務は年末にノーテレビで負債が増えるばかりの猪木と坂口を呼び出し「もう、お前たち、一緒にやれ!」と猪木の新日本プロレスと日本プロレスを合併させる「新・日本プロレス」構想が浮上。

73年2月8日、新宿・京王プラザホテルで猪木と坂口が記者会見を行い、日本プロレスを存続会社として新日本プロレスと日本プロレスが合併すると発表されました。

これに反対したのが会見時韓国に帰っていた大木で、「俺は何も聞かされていなかった。育ててくれた日プロを裏切るような真似は俺には出来ない」とこれを拒否。僅か1年2か月前に日本プロレスを除名・追放処分にされた猪木に対する嫌悪感もあり、反対多数でこの案は頓挫。

坂口は小沢正志(キラー・カーン)、木村聖裔(たかし、健吾、健悟)、大城勤(大五郎)、田中米太郎レフェリーを連れて日本プロレスを離脱し新日本プロレスに合流。

坂口の新日本プロレス移籍でNETも日本プロレスに見切りをつけ4月から「ワールドプロレスリング」は新日本プロレスの放送に鞍替え。

坂口に出て行かれ、NETの放送も失った日本プロレスは選手会の運営で4月13日、大阪府立体育会館から「アイアン・クロー・シリーズ」を開幕させましたが、単独での団体存続は困難と判断、百田家(力道山家)の仲介で馬場の全日本プロレスに合流、合併が決定。

この日、力道山が眠る池上本門寺で墓前を前に記者会見が行われ、国内にいた日本プロレス9人の残党(大木、上田馬之助、グレート小鹿、高千穂明久、松岡巌鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男、羽田光男、伊藤正男)の全日本プロレス合流が発表され、日本プロレスの解散が決定し、日本プロレスは4月20日、群馬県吉井町体育館で19年2か月の歴史にピリオドを打ちました。

【正解解説】猪木が、日本選手権、格闘技世界一決定戦の次にライフワークとしたのがIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)。

4月3日後楽園ホールで開幕の「WWFビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」は「インターナショナル・チャンピオンシップ予選」のサブタイトルが付けられ、このシリーズからアジア・ゾーン予選が開始されます。

開幕戦の2日前、4月1日、京王プラザホテルでIWGPの発足式が行われました。

マイク・ラベール(アメリカ、NWA第一副会長)、アルフレッド・ジーグラー、ポール・バーガー(西ドイツ)、マックス・クラブトリー(イギリス)、フランシスコ・フローレス(メキシコ、UWA代表)、ヌスラット・アジム、サジャンナン・アジム(パキスタン)のIWGPの趣旨に賛同したプロモーター達が出席。  

挨拶に立った猪木は「プロレス界には多くの世界チャンピオンが存在する。誰が真の世界一か、闘ってリアルワールドチャンピオンを決めたい」とコメントしています。

IWGPは世界を6つのゾーン(アメリカ、北米《カナダ》、ヨーロッパ、アジア、中南米、中近東)に分けて予選を行い、各ゾーンの代表2名が決勝リーグ戦に進出、決勝リーグ戦は各プロモーターの地区で持ち回りで開催し、決勝は翌82年秋にニューヨークMSGで行われると発表されています。

しかし、結局はスタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シンの全日本プロレスへの移籍、ヨーロッパ代表と目されていたローラン・ボックの不参加、中近東の離脱など大幅な軌道修正を余儀なくされ、新日本プロレスの興行を買っている国内プロモーターから「決勝リーグ戦は日本でやるべきだ」という突き上げを喰らった、という理由で83年5月6日〜6月2日までの全28大会、1日のオフもないハードスケジュールの中、日本国内での開催となった訳です。

※対戦成績は334戦56勝278敗、勝率168。
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