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2024年09月10日05:32

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【特別編】小林邦昭さん追悼(1)

本日9月10日、新日本プロレスで活躍された小林邦昭さんの訃報が入って来ました。小林邦さんは1956年1月11日長野県小諸市出身、中学校卒業後、72年に16歳で旗揚げしたばかりの新日本プロレスに入門。

73年2月1日、松山市愛媛県民館での栗栖正信(正伸)戦でデビュー。74年10月の「カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦」に出場。小柄な体格だった為、コーチの山本小鉄からとにかく食べて身体を大きくしろと言われ、新幹線の食堂車のメニューを全部たいらげたというエピソードは有名。

S小林とは78年11月25日国際プロレスの「日本リーグ争覇戦」蔵前国技館大会に新日本プロレスからゲスト参戦し寺西勇と対戦、10分18秒、ジャーマン・スープレックスホールドに敗れました。

80年7月にメキシコ遠征に出発、リンピオ(ベビーフェイス)として活躍、82年にはキッド・コビーのリングネームでアメリカのロサンゼルスに渡り、7月18日カリフォルニア州サンバナディーノでゲイ・ギミックのティモシー・フワラーズ(未来日)を破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得。

同年10月「闘魂シリーズ」に凱旋帰国、ベニー・ユキーデばりの赤いパンタロンをコスチュームにし注目を浴びました。10月22日広島県立体育館のテレビ生中継での番組の冒頭、タイガーマスクvsレス・ソントン戦の試合前に入場してきたタイガーマスクをコーナーポストからマントを引っ張って引きずり落として襲撃し観客を騒然とさせました。

10月26日大阪府立体育会館でタイガーマスクのWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦、背後からタイガーマスクのマスクの目の穴に手を入れて引き裂き16分57秒、反則負け。「虎ハンター」としてその名前が全国区に知れ渡りました。

11月4日蔵前国技館での再戦はタイガーマスクの保持するNWA世界ジュニア・ヘビー級とWWFジュニア・ヘビー級の二冠王座に挑戦となりましたが、またしてもマスクに手をかけて13分40秒、反則負け。

「闘魂シリーズ」終了後は同じくこのシリーズにメキシコ遠征から凱旋帰国し藤波辰巳に牙を剥いた長州力と共にニューヨークにいたマサ齋藤を尋ね、翌83年1月の「新春黄金シリーズ」からM齋藤、長州、1月6日後楽園ホールでタッグパートナーの坂口征二を見殺しにして裏切ったキラー・カーンらと「革命軍」を結成。

新日本プロレス正規軍、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団との3派による軍団抗争で新日本プロレスは団体創設来の空前のブームを巻き起こしました。

その中の立役者の一人が紛れもなく小林邦さんでした。

83年4月3日蔵前国技館で首の負傷の為、NWA世界ジュニア・ヘビー級、WWFジュニア・ヘビー級の二冠王座を返上したタイガーマスクに代わり、ダイナマイト・キッドとNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦を行い、15分19秒、両者リングアウトの引き分け。翌4日には新潟市体育館ではキッドとWWFジュニア・ヘビー級王座戦で連日対戦、12分58秒、両者フェンスアウトの引き分け。

タイガーマスクだけではなく、そのライバルのキッドとも激しい闘いを展開しました。

83年8月11日のタイガーマスク電撃引退発表後はザ・コブラをライバルとしてNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を争いました。84年2月9日大阪府立体育会館での試合は散々に終わったコブラの日本デビュー戦(83年11月3日蔵前国技館vsデイビーボーイ・スミス)での汚名返上をしたコブラの名勝負と言えます。

84年9月21日長州、アニマル浜口、谷津嘉章、寺西勇の維新軍団のメンバーとともに新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)へ移籍、全日本プロレスのリングに闘いの場を移すことなりました。(この項続く)
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