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2024年08月03日07:05

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ストロング小林さん追悼最終章(766)

全米を席巻したダスティ・ローデスとのテキサス・ジ・アウトローズですが72年には先にAWAでファイトしていたローデスの後からディック・マードックがAWA入りしAWA世界タッグ王座にはつけませんでしたが、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組の元祖極道コンビと抗争を展開。

マッドドッグ・バション&ブッチャー・バション組のバション兄弟、全日本プロレスでもタッグを結成したビル・ロビンソン&ワフー・マクダニエル組などと対戦し、ニック・ボックウィンクル&レイ・スチーブンス組が保持していたAWA世界タッグ王座にも挑戦しています。

AWA時代の末期73年6月、国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」に一度だけてテキサス・ジ・アウトローズとして参戦。シングルでは6月29日に半田市民ホールにてストロング小林のIWA世界ヘビー級王座に挑戦し反則含みながら2−1で惜敗。

翌6月30日には岐阜市民センターにてラッシャー木村&グレート草津組のIWA世界タッグ王座にアウトローズで挑戦。こちらも反則含みで2−1で敗れてタイトル奪取は成らず。

元々はファンク・ファミリーの一員だったところからドリー・ファンク・ジュニアのブッキングで同10月の「旗揚げ1周年記念ジャイアント・シリーズ」から全日本プロレスのレギュラーとなりました。

74年8月9日蔵前国技館ではマスクマンのザ・トルネードに変身しワンマッチ参戦、正体がバレバレでしたがザ・デストロイヤーの覆面世界一決定戦十番勝負第2戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)の相手を務め、1−1から反則負け。

同年11月5日には大田区体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦。2−1で敗れましたが3本目のフィニッシュは馬場の珍しい前方回転エビ固め。当時36歳で身体が動いていた時期ですがマードックの受けの上手さがあって初めて成立するものでしょう。

翌75年11月にはローデスとのアウトローズで登場、11月27日札幌中島スポーツセンターで馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦して2−1で敗退、マードックとローデスはそのまま「オープン選手権」に残留。「オープン選手権」では鶴田、R木村、デストロイヤーを上回る8点を獲得し4位となり、技能賞を獲得しています。

76年12月9日には日大講堂でキラー・カール・コックス(マスクマンのザ・スピリットとして来日したが馬場にマスクを剥がされ素顔で出場)とシングルマッチで対戦、アメリカのブラスナックルマッチを思わせる名勝負を展開、結果は両者反則に終わりましたがマニアを唸らせる試合でした。

79年5月8日千葉県立体育館前(天台町)でハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、1−1から60分時間切れ引き分け。

日本ではタイトルに縁がなかったマードックですが、80年2月23日鹿児島県立体育館で鶴田を2−1で破りUNヘビー級王座を獲得。2月27日大村市民体育館でタイガー戸口と1−1から60分時間切れ引き分けで初防衛に成功した後、3月5日黒磯市公会堂で鶴田のリターンマッチを受けて2−1で敗れベルトは失いましたが、怪物鶴田に対して底知れない強さを発揮して「マードック強し」を印象づけました。

同年10月の来日では引退宣言をしたテリー・ファンクのパートナーとして来日、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・トーア・カマタと激闘を展開。

ブッチャーとの対戦に関してはマードックが黒人差別主義者であり、不仲だったこともありブッチャーに対して厳しい攻撃を加えるところから両者が新日本プロレスに移籍し、遺恨試合を組んだとして、馬場が新日本プロレスのマッチメイクに対し「あの二人は闘わせてはいけない」と批判しましたが、全日本プロレスでも両者の対戦、75年「オープン選手権」ではタッグを組んだ(公式戦のカードがなかった為、員数合わせ)りはありました。

これは馬場のブッチャー擁護とも取れる発言で「外国人レスラーの気持ちがわかる馬場 、そういう機微の部分がわからない、あるいはわかっててわざと対戦させる猪木」という部分を演出したコメントでしょう。

猪木とは10年、坂口とは9年、ストロング小林とは7月24日ロサンゼルス・スポーツアリーナで対戦しましたが日本では8年ぶりの対戦となります。またマードックの移籍でNWA世界ヘビー級王者となりったローデスとの関係はどう変わるかも注目されます。

後半戦9月4日豊田市体育館〜9月23日田園コロシアムまで特別参加のアンドレ・ザ・ジャイアントは前80年11〜12月の「MSGタッグ・リーグ戦」以来9か月ぶりの来日。

5月2日ニューヨーク州ロチェスターでのキラー・カーン戦で右足を骨折、5月8日からの「第4回MSGシリーズ」の参加をキャンセルしたアンドレ。入院治療の結果退院、7月12日コネチカット州ハートフォードでのサージェント・スローター戦で復帰。

7月20日ニューヨークMSGでKカーンとの遺恨試合が組まれ、大荒れの末ノーコンテストとなりましたが、果たしてどの程度復調をしているか?猪木、スタン・ハンセンと「第4回MSGシリーズ」で対戦できなかった因縁の相手との対戦もあり、コンディションが気がかりです。

終盤戦9月18日広島県立体育館〜最終戦9月23日田園コロシアムまで特別参加の初来日「太陽仮面」ソラール(エル・ソラール表記の文献もあり)。本名非公開、1955年5月25日メキシコ・ハリスコ州サコアルト・デ・トレース出身の当時26歳。

17歳でグアダラハラに移住し名伯楽ディアブロ・ベラスコのコーチを受けて75年5月にサンルイスポトシでデモニオ・ロホを相手にデビュー、素顔でデビューしましたが後にソラールに変身、当初はEMLL(現在のCMLL)所属でしたがUWAに移籍。

77年3月20日パチューカでエル・シグノのUWA世界ライト級王座に挑戦し1−1の引き分け。同年5月29日メキシコシティ・パラシオ・デ・ロス・デポルテスのビッグマッチで81年6月に来日してタイガーマスクと対戦したビジャノ�靴鯒砲辰藤妝廝狙こΕΕД襯拭宍蕾�座を獲得。

来日前の81年5月29日にはカチョーロ・メンドーサを降しナショナル・ミドル級王座を獲得しています。スペル・アストロとウルトラマンとの宇宙をモチーフとしたトリオタッグチーム「ロス・カデテス・デル・エスパシオ」としても活躍しており、UWA期待の若手のホープ、今回はタイガーマスクに照準を定めての来日となります。(この項続く)
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