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2024年02月26日07:20

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(49)

第318戦、12月6日発売号●【予想】入団発表から50年、新日本プロレスが初の「幹部候補生採用」吉田光雄(長州力)、入団記者会見(73年南青山新日本プロレス事務所)【正解】猪木が日本プロレス選手会を除名された夜の“無気力試合”猪木vsディック・スタインボーン(71年日本プロレス水戸市茨城県スポーツセンター)

【参考】2017年12月6日発売号は「1年半、UWFがやってきたこと」の宣戦布告、UWF戦士5人が新日本プロレスに登場、IWGPタッグ・リーグ戦公式戦、猪木&坂口征二組vs藤波辰巳&木村健吾組(85年新日本プロレス両国国技館)

2017年12月6日発売号、第13戦の予想●史上空前の豪華メンバーが集結、オープン選手権開幕戦(75年全日本プロレス足立区体育館)※対戦成績は13戦3勝10敗、勝率231。

当初は、前回2017年同様、オープン選手権の開幕戦を再予想する予定でしたが、前週の11月29日発売号で81年の豪華外国人メンバーについて書いており、2週続けて豪華外国人メンバーネタでは、読む方が、胸焼けするんじゃないかと思い、長州の新日本プロレス入団会見に差し替えました。

【予想解説】長州力(現本名、吉田光雄、旧本名郭光男、当時22歳)は1951年12月3日、山口県徳山市(現在の周南市)で4人兄弟の末っ子として生まれました。

父親は第二次世界大戦前の1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいました。在日韓国人二世という出自のため、小学校時代は教師からも差別を受けたといいます。スポーツは野球と柔道で活動、岐陽中学校の柔道部を経て、山口県桜ケ丘高校のレスリング部に特待生として進学。レスリングに打ち込み、3年生の69年にはインターハイの73kg級で準優勝、長崎国体のフリースタイル75kg以上級で優勝。大学レスリング関係者であるから注目され、レスリング強豪校の専修大学商学部に特待生として入学。

専修大学レスリング部では重量級の選手として1年時から試合で活躍する。当時、3学年先輩である主将はミュンヘンオリンピックのフリースタイル52kg級で金メダルを獲得する加藤喜代美。1学年後輩には吉田栄勝(吉田沙保里の父)、平澤光志(元新日本プロレスの平澤光秀〚ヒデオ・サイトー、キャプテン・ニュージャパンの父)などがいました。

大学2年の71年、全日本学生選手権のグレコローマン90kg級で優勝、大学3年の1972年、日本育ちでありながらも韓国籍のためミュンヘン五輪に出場できなくなることを惜しむ関係者の助けもあり、在日大韓体育会を介して同五輪韓国レスリング代表に選出されました。本番ではフリースタイル90kg級に出場し、戦績は1勝2敗(減点制度により失格)。大学4年生で専大レスリング部主将となり、73年の全日本選手権ではフリースタイルとグレコローマンの100kg級で優勝しました。

卒業後の進路選択の際、NET(テレビ朝日)の運動局長だった永里高平(早稲田大学レスリング部OB)の仲介で新日本プロレスの新間寿営業本部長を紹介され、73年12月6日、新日本プロレスに入団発表。

猪木も会見の席に同席、無名の練習生ばかり採用していた新日本プロレスは旗揚げ2年目にして初の「鳴り物入りの幹部候補生」を迎え入れることになりました。

吉田より1学年上(同じ51年3月25日の早生れ)でミュンヘン五輪グレコローマン100kg以上級に出場し、1年前の72年に全日本プロレス入り、この年の10月にアメリカ修行から凱旋帰国、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスを相手に華々しい大活躍をしていた鶴田友美と同じく「アマレスエリートのプロレス転向」という観点から鶴田と比較対象で見られることになります。

が、猪木は「じっくり育てる」と早世型の鶴田とは違う育成法を示唆するコメントをしています。

【正解解説】今回正解のスタインボーン戦も考えましたが、1年前の2022年12月7日発売号に「日プロ幹部と大モメ中の猪木史上、唯一の無気力試合」として翌12月7日、札幌中島スポーツセンターでの「最後のBI砲」(プロレス夢のオールスター戦)馬場&猪木組vsファンクスのインターナショナル・タッグ選手権試合を採り上げており、流石に1年前「唯一の無気力試合」と書いたことぐらいは覚えてるだろうと思い、候補から外してしまいました。

「無気力試合は2夜連続だった」という訳ですが、この試合は流さんの地元・水戸開催で会場で生観戦されており、やっぱり書いてみたくなったのでしょう。

私の連載には何度か書いていますが、日本プロレスの「ダラ幹」を追放し、選手が報われる会社にしようと猪木と猪木の側近である公認会計士で元警察官の肩書を持つ木村昭政が会社改革に着手、馬場も当初は賛同していましたが、上田馬之助がこの件を芳の里社長に諜報、改革後は猪木が実権を握るのでは?と危惧した馬場は協力を撤回、猪木は日本プロレス選手会を除名されていました。

そんなことから猪木は精彩を欠き、セミファイナルでスタインボーンとシングルマッチ45分3本勝負で対戦、1本目は11分53秒、両者リングアウトで1−1、決勝の2本目は6分46秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップを奪い2−1で勝ちましたが、流さんが観客席から見ていて「猪木どうしちゃったんだ」と思うほど元気がなかったそうです。

翌7日にはファンクスに敗れインターナショナル・タッグ王座から転落、8日には帰京し尿管結石を理由に代々木の小林病院に入院、9日に大阪府立体育会館で予定されていたドリーとのNWA世界ヘビー級、ユナイテッド・ナショナルのダブルタイトルマッチはキャンセル。そして13日には会社乗っ取りを企てたクーデター犯として日本プロレスを除名・追放処分となり、僅か1週間で猪木のレスラー人生は急展開を迎えるのでした。

※対戦成績は318戦55勝263敗、勝率173。
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