79年12月6日、蔵前国技館で行われたWWFヘビー級選手権試合はタイガー・ジェット・シンの乱入によりボブ・バックランドが猪木をアトミック・ドロップの要領で担ぎ上げてから急所をトップロープに叩きつけてからフォール。カウント3が入りました。
しかしリング下にいた新間寿WWF会長がクレームをつけ、シンの乱入、及びバックランドの急所攻撃は無効であり、タイトルの移動は認められないとしてノーコンテストを主張、結果判定は覆り27分19秒、没収試合となり猪木は現行のままタイトル初防衛となりましたが、猪木はこの結果を潔しせずタイトル返上となりました。
この一件も当時は物議を醸しましたが、44年経った現在、改めて検証してみたいと思います。別連載「猪木とビンス」(2010年3月〜2019年12月)でも1度検証していますが、また別角度から。
徳島も蔵前も両方シンが乱入(リング下に登場、リングには上がっていない)していますが、徳島の時は入って来て猪木が気を取られただけで、直接の身体でのコンタクトはなし。蔵前ではシンは猪木に殴りかかり、短時間ではあるが試合に関与している。
バックランドの急所攻撃は明らかに反則、即反則負けの対象にしてもおかしくないが、レフェリーのミスター高橋はシンの乱入に気が行ってしまい見ていなかったテイでカウント3を入れた。この時点でフォールは有効。
新間は猪木と共に「馬場はNWA世界ヘビー級のベルトを1週間レンタルしただけ」と馬場のNWA世界ヘビー級王座獲得を揶揄しており、「何だ、猪木も所詮馬場と同じレンタルチャンプではないか」と馬場と全日本プロレスのファンにこき下ろされることを懸念して会長権限を利用して判定を覆した。
問題はビンス・マクマホン・シニアとの「ベルト貸借」に関する約束の範囲、このノーコンテスト→王座返上までをビンス・シニアが承知していたかというとこれは「NO」だと思います。
ベビーフェイスのバックランドが急所攻撃というヒール的なフィニッシュでベルトを取り返す、敵陣だからまぁ仕方ない、までが許容範囲でそこから先は猪木の名誉を守る為に新間が考えたアドリブで、もちろん猪木には試合前には報告してあったはず。
猪木「新間、ニューヨークの方(ビンス・シニア)にはどう説明するんだ?」
新間「社長、大丈夫です。私に任せて下さい」
猪木「ふーん、まぁお前がケツ持つんならいいや」
みたいな感じの会話があったかどうか…?
初めからノーコンテストにするつもりだったらシンとマサ齋藤、上田馬之助の3人をリングまで上げて猪木とバックランドの両方に無差別口撃をして、高橋レフェリーもサーベルでシンに殴られてダウン、という誰が見ても「ノーコンテスト」という結末になるのではないでしょうか。
昭和でもこの時代は馬場の2度にわたるNWA世界ヘビー級王座獲得の移動劇を目の当たりにしており、ある程度マニア層のファンが「わかってきた」時代でした。それだけに、この新間の往生際の悪さはかえって猪木の評価を落とし、マイナスに作用しました。
ここは急所攻撃でバックランドが、反則疑惑を残しつつ、ベルト奪回で良かったと私は思います。
蔵前大会その他の試合はセミファイナルの坂口征二とシンのデスマッチルールによるシングルマッチ時間無制限1本勝負は大荒れで収拾がつかなくなり、7分2秒、レフェリーが試合をストップし、珍しい試合続行不可能以外でのレフェリーストップによる引き分け。
セミ前の藤波辰巳&長州力組とペドロ・モラレス&グレッグ・バレンタイン組のタッグマッチ45分1本勝負は11分3秒、藤波がモラレスにリングアウト勝ち。
ストロング小林はニコリ・ボルコフと今シリーズ2度目のシングルマッチ30分1本勝負で対戦、7分25秒に反則勝ち。
木村健吾&木戸修組vs星野勘太郎&平田淳二組のタッグマッチは13分49秒、木村健が平田を体固めで破り、木村健&木戸組が勝利を飾りました。星野&平田組はこれより23年後の2002年に魔界倶楽部総裁と魔界1号として合体することになります。
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