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2023年02月17日22:20

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(40)

第206戦、10月6日発売号●【予想】失神KO負けから11年10か月、グレート草津とルー・テーズリングで再会、ラッシャー木村&草津組vsニック・ボックウィンクル&テーズ組(79年国際プロレス沼津市民体育館)【正解】凱旋帰国の谷津がついに本領発揮、全盛期がスタート、谷津嘉章vsブライアン・ブレアー(83年10月7日新日本プロレス後楽園ホール)

【予想解説】国際プロレスがTBS体制になって初戦となった68年1月3日、日大講堂大会。

日本プロレスとの興行戦争「隅田川決戦」に就いては割愛しますが、メインイベントはルー・テーズにアメリカ武者修行から堂々の凱旋帰国を果たした国際プロレス期待のエース、グレート草津が挑戦したTWWA世界ヘビー級選手権試合61分3本勝負。

実力の差は歴然で、1本目、17分50秒、テーズがバックドロップから体固め。草津はテーズのバックドロップのダメージで失神、2本目は試合放棄。2−0のストレート負けでまさに惨敗でした。この模様が全国ネット局で放送されたことも手伝って、まさに試練の船出。

この時の失神については後に草津が、セコンドにいた東郷に「寝てろ」と言われたと発言してますが真偽は不明です。

当初考えられていた「草津をテレビ生中継で4週連続挑戦させる」プランは水泡に帰し、国際プロレスは軌道修正を余儀なくされ、いずれにしてもこの時の結果が後々国際プロレスの行く末を暗示することになりました。

この時のイメージが悪く、草津は国際プロレスの看板タイトルであるIWA世界ヘビー級王者にはなれず、リング上ではサンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上、アニマル浜口とパートナーを変えてIWA世界タッグ王座に君臨し続ける一方で、フロント業務では吉原功社長の右腕として取締役営業部長とマッチメーカーを兼務、院政を敷いていました。

テーズは国際プロレスに来日後、国際プロレスの外国人ブッカーをしていたものの「約束のギャラを払わない」として国際プロレスと絶縁し次期「ワールド・タッグ・シリーズ」の来日外国人レスラーを途中で引き揚げさせる暴挙に出たグレート東郷と組んで69年1月に東郷主導で日本での第三勢力として「トーゴー&テーズ・カンパニー」(ナショナル・レスリング・エンタープライズ = 仮称)なる新団体の設立を画策。

フランス在住のフリーレスラー、シャチ横内をエースに据えようとしていましたがこの情報を察知した日本プロレスが妨害工作に出て、NETとフジテレビへの売り込みにも失敗しています。(この時のNETへの売込阻止が同局による日本プロレスの中継開始に繋がった)

同年8月のNWA総会でNWAへの加盟を申請しましたが、反対多数で否決されたことで頓挫している。(国際プロレスも同年加盟申請し反対多数で否決、吉原社長はすぐさまミネソタに行き、AWAのオーナー、バーン・ガニアと契約している)

この為テーズは日本プロレス、国際プロレスのリングには上がれず、アメリカでもセミリタイア生活となっていましたが、72年10月4日蔵前国技館、10月10日大阪府立体育会館で行われた新日本プロレスのカール・ゴッチvs猪木の世界ヘビー級選手権試合2連戦の特別レフェリーとして来日、猪木とゴッチのストロングスタイルの攻防に刺激を受けたか、翌73年10月14日、蔵前国技館で57歳でカムバック、「世界最強タッグ戦」としてゴッチとタッグを組み、猪木&坂口征二組の黄金コンビと対戦。130kgの坂口をバックドロップで投げて見せました。

74年8月には同じく新日本プロレスの8月1日、大阪府立体育会館、8月8日、日大講堂での猪木vsゴッチ「実力世界一決定戦2番勝負」の特別レフェリーとして来日し、75年8月7日、米IWAニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルトスタジアムでのエリック・ザ・レッド戦で59歳でカムバック、同年10月9日、蔵前国技館で猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦し、ブロックバスター・ホールドの前に敗れました。

同年12月11日、蔵前国技館で行われた猪木vsビル・ロビンソンの特別立会人として来日、77年3月31日、4月1日の両日にかけて行われた新日本プロレス蔵前国技館大会2連戦に特別レフェリーとして来日した後はメキシコに渡り、61歳でUWA世界ヘビー級の初代王者に認定され、78年9月24日、エル・トレオでカネックに敗れベルトを明け渡しました。

WWFとの連係が強化された新日本プロレスとは次第に疎遠になり、79年10月、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」に特別レフェリーとして実に11年10か月ぶりに来日、菅原伸義(アポロ)、鶴見五郎、寺西勇とエキシビションマッチで対戦、切れ味鋭いバックドロップを見せています。

シリーズ最終戦、10月6日、沼津市民体育館でテーズはメインイベントに出場、AWA世界ヘビー級王者ニックと組んで、国際プロレスの最強コンビ、R木村&草津組と対戦、草津と久しぶりに対戦。63歳になっていたテーズは淡々とした試合を見せて、13分3秒、R木村とニックが両者カウントアウトで引き分けに終わりました。

【正解解説】83年10月7日、後楽園ホールで開幕の「闘魂シリーズ」に谷津嘉章が長州力率いる維新軍の一員として凱旋帰国しています。

足利工業大学附属高等学校レスリング部の主将として活躍、全日本プロレスの三沢光晴、川田利明の先輩にあたり、76年モントリオール五輪に日本代表として出場、80年のモスクワ五輪にも連続参加が期待されましたが、日本のアメリカ等西側諸国に歩調を合わす参加ボイコットで2回連続出場成らず、この年の10月に新日本プロレスに入団しました。

レスリングエリートだった谷津は野毛道場での練習生生活、合宿生活を免除され、WWF地区に修業に出て同年12月29日、ニューヨークMSGでカルロス・ホセ・エストラーダを破る異例のデビュー戦を行っています。

81年6月24日、蔵前国技館大会、タイガー・ジェット・シン、ダスティ・ローデスの来日キャンセルにより大幅なカード変更を余儀なくされることになる新日本プロレスですが、猪木から帰国命令が出て、メインイベントで猪木と組んで、スタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャー組と対戦、いいところを全く出せずに惨敗。

この試合が精神的トラウマになったか、同年11月の「第2回MSGタッグ・リーグ戦」では同じアマレス出身の長州力と組んでエントリーしましたが精彩を欠くファイトとなってしまいました。

谷津は82年8〜9月の「ブラディ・ファイト・シリーズ「終了後、フロリダのヒロ・マツダのもとへ渡り出直しの海外再修行を行っています。

フロリダで試合をした後はテキサスに転戦しトラ・ヤツのリングネームでヒールとして活躍。

ぽっちゃりとしたお腹は引き締まり、黒く日焼けした肌、マサ齋藤のような黒のハーフタイツに長髪、髭というスタイルに変身し、精悍さを増しました。

谷津が再修行に出ている間、新日本プロレスのリングは勢力分布図が大きく変わり、10月にはメキシコから凱旋帰国した長州が藤波辰巳に噛みつき、小林邦昭もタイガーマスクに反乱を起こしています。

83年1月から長州にマサ齋藤、キラー・カーンが加わり「革命軍」となり軍団抗争が本格的にスタート、7月から国際軍団と訣別したアニマル浜口が加わり、「維新軍」に名称変更。

谷津は維新軍として凱旋帰国し、谷津の加入によりメンバーが強化され、M齋藤、長州、Kカーン、浜口、小林邦昭とメンバーが充実、シリーズ終盤には寺西勇も加入しています。

凱旋帰国の谷津はセミファイナルでブレアーとシングルで対戦、4分49秒、新兵器のスクープサーモン(変形のパワースラム)でフォール勝ち。

開幕戦のテレビ生中継を見た限りでは、谷津をほ加えて勢力拡大した維新軍の暴れっぷりが目立ちました。

※対戦成績は206戦38勝168敗、勝率184。 
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