第186戦、5月19日発売号●【予想】猪木、第13回ワールド・リーグ戦優勝の馬場に挑戦表明(71年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】「世界」の称号奪回すべくマクマホン・シニアが最後の挑戦(80年)
【予想解説】71年の日本プロレス「第13回ワールド・リーグ戦」は、開幕前の3月26日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで猪木がジョン・トロスを破りUN王座を獲得、帰国後の羽田空港での記者会見で女優の倍賞美津子さんとの婚約を発表するなど、人生で最良の時期に開幕。
2年ぶりの覇権奪回を期してのエントリーとなり、他は前年度優勝の馬場、大木金太郎、吉村道明、上田馬之助、ミツ・ヒライ、星野勘太郎、山本小鉄、グレート小鹿がエントリー、坂口征二はアメリカ再修行中の為不参加。
外国人レスラーはザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・カール・コックス、マンマウンテン・マイク、ニコライ・ボルコフ(初代、後に新日本プロレス、全日本プロレスに来日する元ベポ・モンゴルとは別人)、ゴードン・ネルソン、アンジェロ・モスカ、ジョー・ルダック、ジョー・ターコ(マリオ・レオーネ)がエントリー。
前回の本連載(19)同様、日本側対外国人側の対抗2回総当たりリーグ戦で○あらゆる勝ち1点、△時間切れ引き分け0.5点、●▲負けと両者リングアウトが0点で日本側と外国人側の最多得点者同士による優勝決定戦が行われることになりました。
リーグ戦は混沌とし、日本側は1位が16.5点の馬場と猪木が同点で並びました。馬場はコックスに反則負け、デストロイヤーと時間切れ引き分け、猪木は負けなしでコックスと両リン、デストロイヤーと時間切れ引き分けで共に失点1.5点、外国人側は13点のデストロイヤーとブッチャーが同点で並んでいます。
優勝決定戦は5月19日、大阪府立体育会館。猪木が初優勝した2年前の69年の第11回大会と同じパターンとなり、抽選により決勝トーナメントが組まれました。(試合は時間無制限1本勝負)第1試合が猪木とデストロイヤー、第2試合が馬場とブッチャーの組合せで、猪木と馬場が両方勝てば、待望の馬場vs猪木戦が実現することになります。
第1試合の猪木vsデストロイヤーはデストロイヤーが猪木を足4の字固めに捕らえ、猪木はこれに耐えたものの、足4の字固めに決められたまま両者場外に転落、21分20秒、両者リングアウトの引き分けとなり、両者失格。猪木は優勝と馬場戦の両方を闘う資格を失いました。
これにより第2試合の馬場vsブッチャーが自動的に優勝決定戦となり、7分21秒、馬場が32文ロケット砲からの片エビ固めであっさりとブッチャーにフォール勝ちし、2年連続通算5度目の優勝を手にしました。
試合後、私服に着替えていた猪木は控室の馬場を祝福した後、「馬場さんはインターナショナルチャンピオン、僕はユナイテッドナショナルチャンピオン、どちらが強いか、リングで決着をつけましょう」とマスコミの前で馬場に挑戦表明。
後日、平井義一(衆議院議員)日本プロレス協会会長から「馬場も猪木もまだ若い、世界中に倒さなければならないレスラーは沢山いる。これらの強敵を全て倒してからでも遅くないのでは」という結論が出され馬場vs猪木戦は「時期尚早」ということで見送られました。
結局、この年の暮れに猪木は日本プロレスを除名・追放処分になってしまう訳で、やはり馬場と猪木は「両雄並び立たず」で分裂していく運命にあったように思います。
【正解解説】78年2月20日、ニューヨークMSGでボブ・バックランドがスーパースター・ビリー・グラハムを破り、WWWF(WWF)ヘビー級王者になって以降、WWFとNWAの親密関係が深まりました。
グラハムが王者時代にも、王座転落する直前の1月25日、フロリダ州マイアミビーチ・オレンジボウルでNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスとのダブル・タイトルマッチが組まれ、1−1から60分時間切れ引き分けとなっていますが、バックランドが新王者となって3日後の78年2月23日、フロリダ州ジャクソンビルでレイスとバックランドのダブル・タイトルマッチが行なわれ、60分ノーフォールの時間切れ引き分けになりました。
同年12月18日、猪木、藤波辰巳も出場したMSG定期戦にレイスが登場、トニー・ガレア(78年4月に新日本プロレスに来日)を破ってNWA世界ヘビー級王座を防衛に成功、NWA世界ヘビー級王者のMSG登場はWWWF設立前の62年以来16年ぶりの快挙でした。
翌79年4月30日(同年3月にWWWFからWWFにに団体名を改称)、MSG定期戦にレイスが再登場、スティーブ・トラビス(80年4月、81年10月に新日本プロレスに来日)を破り防衛。暮れの12月17日、猪木、坂口、藤波、長州力が出場したMSG定期戦ではこの年8月に短期間ながらレイスを破りNWA世界ヘビー級王者となったダスティ・ローデスがレイスに挑戦、13分21秒、ローデスの流血によるレフェリーストップ勝ちでレイスの防衛。
この試合をテレビ朝日が80年元日の「新春プロレススペシャル」で新日本勢の試合と共に放送し、馬場が激怒して物議を醸しました。
その流れから80年はレイスとバックランドが互いのベルトを賭けて闘うというダブル・タイトル戦待望論が持ち上がった年でした。
とは言ってもWWFは71年8月のNWA総会でプロモーターのビンス・マクマホン・シニアがNWAのメンバーになっており、WWWF世界ヘビー級王座(当時)から「世界」の二文字を削除しており、NWAから見ればローカルタイトルの一つに過ぎず、日本で報じられたような「リアルワールド戦」とは実態か違いました。
流さんのコラムでは80年5月21日付(20日発行)の東京スポーツの記事「レイスvsバックランドダブル・タイトル戦決定」を引用していますが、この時の背景はレイスが5月23日、後楽園ホールで開幕の全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」前半戦に来日し、タイガー戸口、鶴田を相手に防衛戦を行い、一方のバックランドは5月23日、宮城県迫町体育館から新日本プロレスの「第3回MSGシリーズ」に特別参加、ローデス、スタン・ハンセンと防衛戦を行っています。
レイスとバックランドのダブル・タイトル戦は当初、8月9日、ニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでの開催が候補に上がりましたが、「マクマホンだけに儲けさせることはない」とNWAの元会長で重鎮だったサム・マソニックが難色を示し、9月22日のMSGで実現、35分41秒、バックランドの反則勝ちでベルト移動なし(60分1本勝負)。
11月7日、NWAの本拠地であるミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムで再戦が行われていますが(60分3本勝負)、この時はバックランドのWWFヘビー級のベルトは賭けられず、レイスのNWA世界ヘビー級王座にバックランドが挑戦するだけにとどまり、1−1からレイスの反則勝ちとなり、1勝1敗で星を分けています。
※対戦成績は186戦36勝150敗、勝率194。
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