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2022年12月05日22:39

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ストロング小林さん追悼(333)

全日本プロレスとの興行戦争ですが、先ずその前に書いておきたい全日本プロレスと国際プロレスの「全軍対抗戦」が11月25日、前橋・群馬県スポーツセンターから12月1日、和歌山県立体育館まで1週間6大会が開催されました。

全て日本人選手ばかりの対抗戦だと殺伐として息がつまり、観客がリラックスできないという観点から対抗戦の中に日本人対外国人を入れることで地方のお客様にも楽しんでもらえるようにと全日本プロレスからは次の「世界オープン・タッグ選手権」に参加するビル・ロビンソンとジム・デュラン(アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組のマネージャー役)が前乗りで参加、国際プロレスからは「ダイナマイト・シリーズ」から残留のキラー・ブルックスとキューバン・アサシンが参加しました。ただし外国人選手の対戦相手は招聘団体の日本人レスラーに限られました。(全日本プロレスの日本側として試合をしていたザ・デストロイヤーは不参加)

開幕戦の前橋大会は日本テレビが収録(観衆3,800人満員発表)、この日のみ11月7日、韓国・ソウル市文化体育館で馬場&鶴田組を破りインターナショナル・タッグ王座2度目の戴冠を果たした大木金太郎&キム・ドク組が出場し、前王者チームの馬場&鶴田組とリターンマッチを行いましたが1−1から両チームリングアウトの引き分けとなり、大木&ドク組が初防衛に成功。

次は「世界オープン・タッグ選手権」であり、馬場&鶴田組は王座を奪還出来ないまま年越しが確定してしまいました。

対抗戦はテレビ放送されず、高千穂明久とアニマル浜口が両者リングアウト、グレート小鹿&大熊元司組はマイティ井上&寺西勇組を破りました。

第2戦は11月26日、秋田県大曲市圏民体育館(観衆4,700人満員発表)大会で、馬場が対抗戦初出場、グレート草津とシングルマッチ60分1本勝負で対戦。

馬場と草津言えば、草津がTBS主導体制時代の国際プロレスのエースと期待されて凱旋帰国した際、羽田空港で偶然馬場と遭遇し、「馬場さんは日本プロレスのエース、僕はTBSプロレスのエース、お互いエース同士、プロレス界を盛り上げていきましょう」と身分不相応な発言をして馬場を怒らせた他、72年の全日本プロレス旗揚げシリーズに選手を借りた見返りに馬場が国際プロレスの同年11月29日、東京体育館、30日水戸市茨城県スポーツセンターの2大会に出場したことがありましたが、

東京体育館では馬場が草津とタッグを結成、レッド・バスチェン&マリオ・ミラノ組を2−0で破っていますが、この時草津は入場時に「馬場さん、お先にどうぞ」と馬場を先に入場させようとしてまたもや怒りを買いました。

草津は「アメリカでは格上の選手が先を歩く」と言い訳していましたがどう考えても馬場の後に自分が悠々と入って来て格上気分を味わおうとしたのが見え見えでした。75年の「オープン選手権」で国際プロレスから参戦したラッシャー木村は6点、マイティ井上は5点とそれなりの扱いでしたが草津だけ2点というのは本人が弱かったのも当然、あるでしょうが馬場に嫌われていたのも大きい要因だったと思います。

馬場と草津は初対決でしたが、11分50秒、馬場がグラウンド・コブラツイストからカウント3のフォール勝ちをしています。

R木村と天龍源一郎が初対決、R木村&井上組が天龍&ロッキー羽田組を破っています。

第3戦は11月27日、岩手県宮古市宮古ボウル(観衆5,200人超満員発表)大会。

これは後の82年1月15日、千葉県木更津市倉形スポーツ会館でのスタン・ハンセン全日本プロレス移籍第1戦の6,700人発表位の盛り方でしょうが、それだけ入っていたということかと思われます。

メインイベントは鶴田とR木村の3度目の一騎討ち。コレまで75年12月13日、福井市体育館でのオープン選手権公式戦では両者リングアウト、翌76年3月28日、蔵前国技館での鶴田試練の十番勝負第2戦は60分3本勝負で1−1から両者ダブルフォールといずれも引き分けで決着つかず。

国際プロレスのエースとして絶対に負けられないR木村は意地を見せ、21分18秒、ドリルアホール・パイルドライバーからの片エビ固めで鶴田から三度目の正直で一本勝ちを奪いました。

第4戦は対抗戦唯一の東京開催、11月29日、大田区体育館(観衆3,900人発表)大会。

この日の昼に元ラグビー日本代表の原進(阿修羅、当時32歳)の国際プロレス入団記者会見が高田馬場BIG−BOXで行われています。国際プロレス生え抜きとしては初の鳴り物入り入団、華があり、まさに期待の星という表現に相応しい新人が入って来たことになります。

大田区大会メインは鶴田と井上の2年ぶりのシングルマッチ、75年12月10日、岐阜市民センターでのオープン選手権公式戦では30分時間切れ引き分け。この時は井上がIWA世界ヘビー級王座から転落して8か月位しか経っていませんでしたが2年で両者のポジションは鶴田の方が格上になっており、18分37秒、井上のサマーソルト・ドロップからのフライング・ボディプレスを下から膝を立てた「剣山」で迎撃し、片エビ固めで鶴田のフォール勝ちに終わりました。

馬場とR木村がタッグながらオープン選手権以来の対戦、馬場&羽田組vsR木村&草津組はR木村が羽田を片エビ固め。

後に全日本プロレスvsジャパンプロレスでも抗争を展開、さらにWARではタッグを組むことになる天龍と浜口が初対決し両者リングアウト。

第5戦、11月30日、静岡駿府会館(東京12チャンネル収録、観衆5,700人超満員発表)大会では井上&浜口組に高千穂&サムソン・クツワダ組が挑戦したアジア・タッグ選手権試合がメインイベントで行われ、2−1で井上&浜口組が王座初防衛に成功しました。

鶴田&天龍組vs草津&寺西組は両チームリングアウトの引き分け。

最終戦、12月1日、和歌山県立体育館(観衆2,500人発表)大会。

この日は井上&浜口組のアジア・タッグ王座に前王者チーム、小鹿&大熊組の極道コンビが挑戦、1−1から両チームリングアウトの引き分けとなり井上&浜口組が2度目の防衛を果たしています。

対抗戦は全試合、○勝ち2点、△時間切れ引き分け1点、●▲負け、両者リングアウトが0点のPWFルールで得点争いになっていましたが、全対抗戦終了後の得点は全日本プロレスが36点、国際プロレスが34点で全日本プロレスが僅差で団体戦は勝利。しかし、アジア・タッグ王座は国際プロレスに流失したまま年越しを余儀なくされました。

全軍対抗戦は新日本プロレスの「闘魂シリーズ第2弾」と直近の同一会場でのニアミス興行はありませんでした。大田と和歌山は満員にはなりませんでしたが、全体的に観客はよく入っていたと言えます。(この項続く)
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