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2022年10月28日17:03

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ストロング小林さん追悼(295)

77年新日本プロレス「ゴールデン・ファイト・シリーズ」が終わって翌日の6月2日、東京・内幸町の帝国ホテルで記者会見が行われ、8月2日、日本武道館において、猪木が全米プロ空手(マーシャルアーツ)WKA世界スーパー・ヘビー級王者、ザ・モンスターマン・エベレット・エディ(当時36歳)と「格闘技世界一決定戦」で対戦することが発表されています。

プロ空手は当時では日本では未知の格闘競技、74年にアメリカでスタートしたのが起源と言われており、当時はフルコンタクト空手とも呼ばれていました。全米プロ空手を興行として運営しているプロモーターはIKA会長のハワード・ハンセンなる人物で、富山勝治ら日本キックボクシング系の試合を放送しているTBSが、試合のビデオテープを買い付けたということでした。

翌78年5月8日に日本武道館で富山と全米プロ空手のサミー・モントゴメリーの試合が実現することになりますが、猪木とモンスターマンの試合はそれに先駆けて日本の格闘技界に大きな変革をもたらすことになります。

6月9日(現地時間)バージニア州ノーフォーク・コンベンションセンター(スコープアリーナという表記の文献もあり)においてタイガー・ジェット・シン&上田馬之助組の北米タッグ王座に前王者チームである坂口征二&ストロング小林組が挑戦しました。ジム・クロケットプロの興行でした。

なぜバージニアか?という件に関しては過去連載「新日本プロレス北米選手権考察」に詳細が書いてありますのでご面倒でもそちらをご一読頂ければ幸甚ですが、新たに判明したことで、ジム・クロケットプロのブッカーとして働いていたジョージ・スコット(元プロレスラー、未来日)がカール・ゴッチと懇意(藤波辰巳のミッドアトランティック地区武者修行もゴッチとスコットのルートで実現している)の関係によるものという説も出てきました。

バージニアでこの試合が実現した一番大きな理由はシンの地元カナダ・トロントではシンはベビーフェイスであり、日本でやっているようなヒールファイトが出来ないからだということでしょう。

試合は60分1本勝負。シンと上田はタッチロープを駆使してS小林にチョーク攻撃、見兼ねて入った坂口だがレフェリーのジミー・ハート(後のハルク・ホーガンのマネージャーとは別人)はシン&上田組の反則を取らず。

今度は坂口が捕まり、シン&上田の悪の連係でチョークで首を絞められてS小林が抗議するもレフェリーはシン、上田の反則をチェックするだけで止めないというフラストレーションが溜まる展開が続きました。

コーナーに捕まったS小林を坂口が救出しようとカットに入ったところ、ハートレフェリーは坂口を制止。これに激怒した坂口は勢いあまりハートレフェリーを突き飛ばして12分31秒、坂口&S小林組の反則負けが取られ、シン&上田組が2度目のタイトル防衛に成功しています。

試合後、テレビ朝日のインタビューを受けた坂口&S小林は怒りのコメントを発し、次期「アジア・チャンピオン・シリーズ」での王座奪回を誓いました。

さて前回予告しました全日本プロレスの「NWAチャンピオン・シリーズ」との興行戦争ですが、参加外国人はバロン・フォン・ラシク(前半戦特別参加)、ホースト・ホフマン、マリオ・ミラノ、メヒコ・グランデ(リッキー・ロメロ、ヤングブラッド兄弟の父親)、ボブ・ブラウン、ケビン・サリバン、終盤戦にはNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが特別参加。

日本陣営も若い力が台頭し、約2年4か月に亘るアメリカ、セントラルステーツ地区での武者修行を終えた羽田光男(ロッキー、当時28歳)が凱旋帰国。開幕戦の5月27日、東京・福生市民体育館での凱旋マッチは鶴田と組んでラシク&ミラノ組と対戦、1本目ミラノから長身を利したブレーンバスターでフォールを取りましたが2本目ミラノの必殺技ジャンピング・パイルドライバーで取り返され、決勝の3本目はラシクのブレーンクローで血ダルマにされての反則勝ちで羽田には厳しい凱旋試合となりました。

5月30日、札幌中島スポーツセンターで鶴田はラシクを2−1で破りビル・ロビンソンから奪回に成功したUNヘビー級王座初防衛に成功。

6月11日、世田谷区立総合体育館からNWA世界ヘビー級王者レイス登場。この日鶴田の挑戦を受け(試練の十番勝負第8戦)1−1からレイスが首固めで鶴田を破り2−1で王座防衛。鶴田は試練の十番勝負8戦3勝2敗3分です。

セミファイナルでは前76年10月に全日本プロレスに入団、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニアの元に預けられ、プロレス修行をしていた元幕内力士(最高位西前頭筆頭)天龍源一郎(当時27歳)の国内デビュー戦が行われました。師匠馬場とのタッグでミラノ&グランデ組と45分1本勝負で対戦、12分9秒、天龍がグランデをローリング・クレイドル(揺り椅子固め)で破り、国内デビューを白星で飾りました。

正直、動きにぎこちない点はまだまだありましたが、全日本プロレスに鳴り物入りで入団した天龍と、日本プロレスの残党であり、馬場に人員削減でアメリカに行かされた外様の羽田とは凱旋マッチで明暗を分けた感じで、両者のその後のレスラー生活にも大きな影響を与えてしまいました。

6月12日には埼玉県大宮スケートセンターで天龍は鶴田と国内初タッグを結成、レイス&ホフマン組という強豪チームを2−1で破りました。大宮スケートセンターは新日本プロレスが次期「アジア・チャンピオン・シリーズ」開幕戦の会場として、12日後の6月24日に興行を開催するので、そこと観客動員後の比較をしたいと思います。

新日本プロレスとのニアミスは次の岐阜市民センター、先攻の新日本プロレスは5月25日、猪木&木戸修組vsアンドレ・ザ・ジャイアント&ビクター・リベラ組、坂口征二vsキラー・カール・クラップで3,500人満員発表。

後攻の全日本プロレスは6月13日、馬場&鶴田&天龍組とレイス&ホフマン&Bブラウン組で2−1で馬場&鶴田&天龍組が勝利、セミファイナルがデストロイヤーvsミラノでテレビ収録マッチでしたがこちらは3,000人発表、僅差で新日本プロレスが上回りましたが、500人差は水増しの範囲内であり互角だったと見るべきでしょう。

6月14日、千葉県松戸市民スポーツセンター(松戸市運動公園体育館)では馬場がレイスのNWA世界ヘビー級選手権試合で1−1から時間切れ引き分け。

今回NWA世界戦の開催会場が、世田谷、松戸という中規模会場での開催で「ベルトの権威を下げる」という批判の声が寄せられています。

シリーズ最終戦、6月16日、後楽園ホールではグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビが高千穂明久&サムソン・クツワダ組を2−1で破り、前76年10月2日、同所でジェリー&テッドのオーツ兄弟に敗れて以来8か月ぶりにアジア・タッグ王座に返り咲きました。

WWWFヘビー級王座が移動。4月30日、メリーランド州ボルチモアで前76年8〜9月の「闘魂シリーズ」で新日本プロレスに初参戦したスーパースター・ビリー・グラハムがブルーノ・サンマルチノを18分36秒、エビ固め(フォールの際、グラハムは両足をサードロープに乗せており、反則だったが、レフェリーが見落として3カウントを入れた)で破り第7代王者となりました。

サンマルチノは前76年4月26日、ニューヨークMSGでスタン・ハンセンに首の骨を折られて以来、不調が続いていましたがついにグラハムに引導を渡されてしまいました。

サンマルチノはガチガチの親馬場派であり、ビンス・マクマホン・シニアの新日本プロレス行きの打診を頑なに拒みつづけていました。このためWWWFヘビー級選手権試合が新日本プロレスのリングで開催することはありませんでしたが、今回の王座移動で流れが変わって来ることになります。
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