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2022年10月16日07:21

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ストロング小林さん追悼(283)

74年2〜3月、ストロング小林の離脱、TBSの放送打ち切り、凱旋帰国が予定されていた大剛鉄之助が帰国直前に遠征先のカナダ・カルガリー郊外のフリーウェイで交通事故に遭い右足を切断しレスラー生活を断念という「トリプルショック」に見舞われて団体存亡の危機に陥った国際プロレスは、73年9〜10月の第5回大会以来、「ワールド・シリーズ」の開催は出来ておりませんでしたが、76年10月に法人としての(法人名は「インターナショナル・レスリング・エンタープライズ株式会社」)10周年を迎えた国際プロレスは、記念シリーズとして「第6回IWAワールド・シリーズ&第1回IWAタッグ・トーナメント」を開催、77年2月27日、後楽園ホールで開幕。

「第6回IWAワールド・シリーズ」はABブロック別総当りリーグ戦。Aブロックはラッシャー木村、グレート草津、大位山勝三、鶴見五郎、ビッグ・ジョン・クイン、クルト・フォン・ヘス、ジャック・クレイボーン、キューバン・アサシン2号の8選手。

Bブロックはマイティ井上、アニマル浜口、寺西勇、稲妻二郎、剛竜馬、マッドドッグ・バション、ジプシー・ジョー、キューバン・アサシン1号の8選手。

両ブロック最多得点者により3月26日、蔵前国技館で優勝決定戦が行われます。

タッグ・トーナメントは草津&井上組、R木村&大位山組、浜口&寺西組、サンダー杉山&剛組、バション&ジョー組、クイン&ヘス組、キューバン・アサシンズ、クレイボーン&稲妻組の兄弟チームの8チームがエントリー。 

先ず、ワールド・シリーズですが、AブロックはエースでありIWA世界ヘビー級王者、前回優勝者のR木村が圧倒的強さを見せ、最終公式戦の3月25日、横浜文化体育館での草津との同門対決を制し21点の全勝で決勝進出。

Bブロックですが、後述しますが仲間割れしたバションとジョーの公式戦は3月15日、愛知県豊橋市体育館で実現し、ノーコンテスト。

また、浜口はプエルトリコ、カナダ・カルガリー遠征から凱旋帰国、従来の赤のショートタイツから赤と青のワンショルダータイツにコスチュームが変わり、髪の毛も伸ばしてオールバックにし、ポッコリと出ていたお腹も引き締まり、メインイベンターらしく風貌も変化しました。井上との公式戦は敗れましたが、R木村、草津、井上と並んで四天王の仲間入りを果たしました。

Bブロックは最終戦前日の横浜大会終了時点で1試合を残してジョーが16.5点、バションが公式戦全日程終了で16.5点、井上が1試合残して15点、優勝決定戦進出の可能性があるのはこの3人。

3月26日、蔵前国技館大会、Bブロック最終公式戦、井上とジョーの一戦は壮絶な喧嘩マッチで双方大流血、15分20秒、両者KOの引き分け。共に1.5点加算で1位のジョーが18点。井上はバションと同点の16.5点で全日程終了。

しかし、ジョー、井上とも出血のダメージが深く2人とも棄権。ジョーだけが棄権ならば、井上はバションと決勝進出者決定戦を闘わねばなりませんでした。2人が決勝進出を放棄したので繰り上がりで同点2位のバションがBブロック代表となりAブロック代表のR木村と優勝決定戦を争うことになった訳です。

優勝決定戦は16分9秒、R木村が逆エビ固めでバションを破り全勝優勝、2連覇を達成しました。2連覇は第1、2回優勝のビル・ロビンソン以来の快挙で、ストロング小林も達成出来なかった偉業と言っていいでしょう。

次にタッグ・トーナメントですが、開催に際し、IWA世界タッグ王者チームだった草津&井上組はベルトを返上、3月25日、横浜文化体育館で優勝決定戦が行われ、優勝チームが第17代IWA世界タッグ王者チー厶に認定されることになりました。

開幕戦では草津&井上組がバション&ジョー組に敗れ、前王者組が早くも1回戦敗退しています。

3月10日、茨城県水戸市民体育館での準決勝で浜口&寺西勇組と優勝候補の本命、バション&ジョー組が対戦。そこでバションとジョーが壮絶な仲間割れ、リング上に対戦相手の浜口&寺西を残して勝手に場外で殴り合いを展開、15分47秒、バション&ジョー組がリングアウト負け。浜口&寺西組が優勝決定戦に進出。

3月25日、横浜文化体育館での優勝決定戦は浜口&寺西組と、1回戦でR木村&大位山組、準決勝で杉山&剛組を破ったクイン&ヘス組の対戦となり、タッグの名手ヘスがクインを上手くコントロール、16分45秒、クインが寺西をアルゼンチン・バックブリーカーでギブアップさせてクイン&ヘス組が優勝。第17代王者チー厶となりました。

しかし、翌26日、蔵前国技館で草津&浜口組がクイン&ヘス組が挑戦。2−1で草津&浜口組が王座獲得、ベルト海外流失を阻止しています。クイン&ヘス組は一日天下に終わってしまいました。

蔵前国技館大会は8,200人とまずまずの入りであり新日本プロレスの蔵前国技館大会2連戦の初日9,500人、2日目9,000人には及びませんでしたが、健闘したと思います。後期東京12チャンネル時代(74〜81年)では最高の客入りでした。

しかし、マッチメイクが杜撰。R木村の全勝優勝は、全日本プロレスの「オープン選手権」の馬場戦でミソをつけられたイメージを回復させ「絶対王者」的な強さを強調したかったのかと思いますが、Aブロックは前日にはR木村の全勝での優勝決定戦進出が決まったのに対し、Bブロックは優勝決定戦当日まで公式戦の井上vsジョーを残してあったのも不思議でした。

バションはもし繰り上げで優勝決定戦に出てこなければ蔵前大会でエース外国人が試合が組まれていなかったということになり、不自然極まりないマッチメイクでした。

タッグ・トーナメントにしても横浜でクイン&ヘス組が優勝し、IWA世界タッグ王座を獲得したのはいいですが、翌日に井上に代わって凱旋帰国した浜口が草津のパートナーとなりあっさり王座奪回してしまいます。

クインとヘスが次に揃って国際プロレスに来る約束が取れなかったらしいですが、せっかくトーナメントを勝ち抜いても、次の日にベルトを明け渡してしまっては何にもなりませんでした。

両者出血多量による棄権で、Bブロック代表になれず優勝出来なかった傷心の井上は吉原功社長に「もう1度海外に出て鍛え直し、木村さんに挑戦したい」と直訴、短期のカナダ・カルガリー遠征が決まりました。

結局、浜口が帰国し井上のポジションに就き、井上は海外に出ることは事前に決まっていた話で、その為の動きを僅か1日でやってしまったことにかなり無理があったのは間違いないところです。
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