mixiユーザー(id:21258650)

2022年10月14日05:54

487 view

ストロング小林さん追悼(281)

フォト

77年新日本プロレス旗揚げ5周年記念「第4回ワールド・リーグ戦」の5位以下の成績です。5位は5勝5敗の五分の星野勘太郎で負けは坂口征二、吉田光雄、ジョニー・パワーズ、マスクド・スーパースター、ニコリ・ボルコフの上位陣5人で、木戸修、永源遙、トニー・チャールス、ロベルト・ソト、ベラ・ロドリゲスに勝ち。安定した実力者ぶりを見せています。欲を言えば、前年の第3回大会でキラー・カール・クラップを破ったような優勝争いを混乱させるような大物食いをやって欲しかったと思います。

6位には4勝6不戦敗、途中棄権のパワーズと4勝6敗のソトが4点で並びました。

パワーズは開幕戦で坂口を破り、星野、永源、木戸を得意の足8の字固め(パワーズロック)でギブアップさせて4連勝した後、「俺はワールド・リーグ戦には興味がない。猪木よ、NWFヘビー級王座を賭けて俺と闘え!」とリーグ戦を途中棄権して、猪木もパワーズの挑戦を受けてシードされていた優勝決定戦への出場を辞退、パワーズとのNWFヘビー級選手権試合が決まってしまいました。

序盤戦が全部吉田以外の対日本人で外国人相手には不戦敗というのも不思議なマッチメイクですが、実際は最初から棄権は決定事項だったと思います。

80年11月に開催された「MSGタッグ・リーグ戦」でパワーズはMスーパースターと組んで参加予定でしたが、両者は犬猿の仲で、「パワーズとタッグを組まされるなら出ない」とMスーパースターは来日をキャンセルしてしまいました。

新日本プロレスでは、次期81年「新春黄金シリーズ」にロサンゼルス地区でタッグを組んでいたジ・エンフォーサーとオックス・ベーカーを一緒に呼ぶ予定でしたが急遽、前倒しでベーカーを先に呼びパワーズと組ませてMSGタッグ・リーグ戦に参加させましたが、不振を極めて0点のままリーグ戦を棄権、2人とも途中帰国しています。

後にMスーパースターが語ったところによると、ボロ・モンゴル時代、パワーズがオーナーだったNWFで試合をしていた時に約束していた金額のギャラを支払わなかった為に控室でパワーズを袋叩きにした、とのことで既にこの時両者には確執が存在していたことになります。

よってパワーズがMスーパースターと対戦した時に「何かを仕掛けて来られる」ことを怖れてリーグ戦を途中棄権した可能性大ということではないかと思われます。

ソトは永源、チャールス、ロドリゲスに勝ち、パワーズに不戦勝。格上のチャールスには勝ちました。小狡いラフ殺法で上手く立ち回った感じでした。

8位は3勝7敗の木戸と永源が3点で相星となりました。木戸はチャールス、ソト、ロドリゲスに勝ち、永源は木戸、チャールス、ロドリゲスに勝ち。開幕戦の直接対決は永源に軍配が上がりました。

木戸は強豪揃いだった前年の第3回大会の6点を下回りました。後輩の吉田光雄が凱旋帰国してきたシリーズだっただけにもう少し頑張って欲しかったと思います。永源に関しては順当と言えるでしょう。

10位は2勝8敗、2点のチャールス。パワーズからの不戦勝以外はロドリゲスに勝っただけ。白星配給係になってしまいましたが、本来の実力はこんなものではないはず。結局は最後の来日となってしまいました。

最下位11位は1勝9敗、1点のロドリゲス。パワーズからの不戦勝のみで実質的には全敗です。やはり、メキシカンが新日本プロレスのリングで本領発揮出来るようになるのは藤波辰巳、グラン浜田、タイガーマスクらがメキシコ修行から帰国してからになると思いますが、飛ばないルチャドールなのでロドリゲスには新日本は厳しかったか、6年後の83年5月にエンリケ・ベラとしてIWGP中南米代表で再来日しますが、結局は同じで、負傷の為途中棄権したオットー・ワンツからの不戦勝のみで後は全敗でした。

リーグ戦全体の総括としては猪木が2年連続優勝決定戦出場辞退で事実上不参加、パワーズも途中棄権し最終的には10人によるリーグ戦となり大幅に規模が小さくなり、優勝決定戦が蔵前国技館のセミファイナルであり、「春の祭典」のワクワク感は感じられず。力道山時代から続いた各国の代表が霸を競う「プロレス版オリンピック」は高度経済成長時代の終焉で一つの役割を終えたということでしょう。

昭和もこの頃になるとギミック上だけの国籍や、プロレスがビジネスとして成立している国がある程度ファンにも知られて来ており、新日本プロレスもその辺を察知したか、ワールド・リーグ戦はこの年限りで終了。翌78年からはWWWFとの提携強化による「MSGシリーズ」にシフトチェンジしていきます。

3月31日、蔵前国技館大会初日では翌日に猪木、坂口組の挑戦を受ける北米タッグ王者チームのタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組がテレビ朝日のレポーターとして控室に入って来た解説の遠藤幸吉を襲撃するという事件が起きています。

遠藤は外国人側のレポーターとしてパワーズ、Mスーパースターの様子を伝える為に控室に入って来たのですが、そこにシンと上田が乱入し遠藤を襲撃。シンにサーベルで殴られダウン、そこへ日本プロレス時代は役員と1レスラーという力関係にあった上田にストンピングで踏みつけられた遠藤は立ち上がると興奮気味に喋り始めました。

「いま彼らがね、俺に乱暴をしましたけれどね、まあ、俺に乱暴するよりもですね。坂口、猪木に対してこれ以上の試合をやって欲しいですね!」とメガネがズレた状態で一気にまくし立てました。

この日の蔵前大会初日は翌4月1日、テレビ朝日に局名を変更した初日の「ワールドプロレスリング」で放送されましたが、私は蔵前大会2日目を観に会場に行っており、我が家にビデオデッキが来る遥か前の話で、この場面はリアルタイムでは見ていません。

96年12月に開局したCS放送局「ファイティングTVサムライ」で放送された「闘いのワンダーランド」で20年後にして初めてこのシーンを見ましたが、おそらく仕込んだのは猪木ではないでしょうか?

さて、4月1日、蔵前国技館大会2日目(テレビ収録、観衆9,000人発表)大会。両日とも満員にはなりませんでしたがどちらも8割方観客席は埋まっていました。

メインイベントはシン&上田組に猪木&坂口組の黄金コンビが挑戦した北米タッグ選手権試合。特別レフェリーはルー・テーズ。

試合前のテレビ朝日のサイドレポートでは、挑戦者チームの控室に欠場中のストロング小林の姿が見られ、猪木、坂口との作戦会議。シン&上田組と初めて対戦する猪木に作戦を授けたか?

1本目は11分41秒、シンが坂口をコブラクローから体固め、2本目は5分11秒、坂口が上田をジャンピング・ニーアタックから体固め、上田はこれが新日本初被フォール負けでした。決勝の3本目、猪木が額から流血した上田の額をナックルパートで連打し試合を有利に進めましたが、シンがノータッチで入ってきて静止するテーズを殴りつけて倒し、3分16秒に王者組の反則負け。

2−1で猪木&坂口組が勝利を飾りましたが反則の為にタイトル移動せず。シン&上田組がタイトル防衛に成功し、黄金コンビはベルト奪取に失敗しました。

蔵前国技館2連戦2日目は4月8日の「ワールドプロレスリング」、メインイベントの北米タッグ選手権試合のみ放送されています。また蔵前大会2連戦は北米タッグ選手権試合が集英社から発売されている「燃えろ新日本プロレス」を初め、複数の映像ソフトに収録されている他、両大会ともテレ朝チャンネル「ワールドプロレスリング・クラシックス」で繰り返し再放送されており現在でも視聴可能です。

※観戦チケットをアップ致しました。
5 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年10月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031