新日本プロレスとの興行戦争ですが、新日本プロレスも全日本プロレスとほぼ同時期にテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の中継も3月28日放送分(「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦3月19日、後楽園ホール大会から猪木vsビリー・ガスパー戦他を録画放送)を最後に毎週月曜日午後8時からのゴールデンタイムから撤退を余儀なくされ、2週間の放送なしを経て4月16日から毎週土曜日午後4時から(関東地区)の60分枠に変更されてしまいました。
4月11日、後楽園ホールから「スーパー・ファイト・シリーズ」が開幕、開幕戦は月曜日開催(生中継用に従前から押さえていたもの)、2,000人(超満員発表)と好調な入り。メインイベントは猪木&越中詩郎組vs長州力&馳浩組で15分37秒、猪木が馳を延髄斬りからの体固めで撃破。
セミファイナルはビッグバン・ベイダーが坂口征二を破り、ヨーロッパ武者修行が決まった船木優治(誠勝)の壮行試合として船木が藤波辰巳のパートナーに抜擢され、マニー・ヘルナンデス&スティーブ・ケーシー(国際プロレス、全日本プロレスに来日したワイルド・アンガスの息子)組と対戦しましたが敗れました。
全日本プロレスの後楽園ホール大会がこれより10日後の4月21日で、こちらは鶴田&輪島大士組vs天龍源一郎&阿修羅・原組がメインでサムソン冬木&川田利明組に石川敬士&マイティ井上組が挑戦したアジア・タッグ選手権試合などが行われましたが、こちらは1,850人(満員発表)で後楽園ホールは新日本プロレスの勝利に終わりました。
全日本プロレスの4月4日、月曜日愛知県体育館大会の3週間前の3月11日金曜日に新日本プロレスは、同会場での興行を開催しました。(先シリーズとなるビッグ・ファイト・シリーズ。)先攻の新日本プロレスは猪木&ディック・マードック組vs藤波&木村健吾組のノンタイトル戦、馳浩に高田延彦(シリーズ後、新生UWFへ移籍)が挑戦したIWGPジュニア・ヘビー級選手権試合で9,150人(超満員発表)。
後攻の全日本プロレスはブルーザー・ブロディに谷津嘉章が挑戦したインターナショナル・ヘビー級選手権試合をメインに輪島&石川組vs天龍&原組がセミで7,200人(満員発表)。東海地区の辣腕プロモーター、富野徹三氏主宰の共同企画を抱える新日本プロレスが観客動員では上回りましたが、不入りだった全日本プロレスの愛知県体育館も今回は満員となり、善戦健闘しました。
新日本プロレス4月22日、沖縄県那覇市奥武山体育館(テレビ収録、観衆2,900人発表)大会で大きな動きがありました。メインの猪木&藤波組vsベイダー&マサ齋藤組。試合は猪木がM齋藤に下半身を固定された上にベイダーがビッグバンクラッシュ。試合はこの2人がかりの攻撃が反則を取られ、9分24秒に猪木&藤波組の反則勝ちになりましたが、内容では惨敗。
このシリーズの目玉カードは猪木とベイダーのシングル2連戦(4月27日、大阪府立体育会館でのノンタイトル戦、5月7日、有明コロシアムでのIWGPヘビー級選手権試合)。試合後、控室で藤波が持病の糖尿病の悪化から体力の衰えが顕著な猪木に対し、ベイダーとの2連戦は無理、自分が代わりにベイダーと対戦すると、猪木に、自らの前髪を切って直訴。
これがいわゆる「飛龍革命」ですが、翌4月23日、沖縄県宜野湾市体育館大会の試合前、朝ジョギング中の猪木が右足の甲を骨折、欠場となり、藤波の直訴通り、大阪と有明は猪木に代わって藤波がベイダーと2連戦を行うことになりました。
大阪府立体育会館は全日本プロレスの方が12日早い4月15日金曜日に興行を開催、PWFヘビー級、UNヘビー級二冠王者の天龍とインターナショナル・ヘビー級王者ブロディによる史上初の三冠王座統一戦がメイン。30分両者リングアウトに終わり、三冠統一は成りませんでしたが、歴史的意義、試合内容とも申し分なし。にも関わらず、全日本プロレス人気があまり高くない関西では集客は思わしくなく、観衆は4,400人発表と満員にはならず。
後攻、新日本プロレスの4月27日、大阪府立体育会館は水曜日開催で5,170人発表、満員マークはつかず、藤波とベイダーのノンタイトルシングル戦は12分12秒、場外でコーナーポストを背にした藤波にベイダーがベイダー・アタックを試みましたが失敗。藤波がすかさずリングに上がってのリングアウト勝ち。
新日本プロレス本隊対長州軍団の5対5ジュニアイリミネーションマッチ、越中&星野勘太郎&山田恵一&後藤達俊&野上彰組vs馳&小林邦昭&ヒロ斉藤&保永昇男&佐々木健介組は最後は小林が山田をジャパニーズ・レッグロールクラッチで破り1人残りで長州軍団の勝利に終わりました。
どちらも満員にはなりませんでしたが新日本プロレスの勝利とみていいと思います。
新日本プロレスのシリーズ最終戦、プロレス初使用となる有明コロシアム大会は当初開催予定日5月7日土曜日は雨天順延(当時は屋根なし)となり翌8日日曜日の予備日に開催。観客は10,250人(満員発表)
猪木が欠場の為返上したIWGPヘビー級王座決定戦として藤波とベイダーが再戦、16分2秒、反則勝ちで藤波が勝ち第2代王者となりました。全日本プロレスは83年頃から鶴龍体制に少しずつ移行していきましたが、新日本プロレスの方が世代交代が明らかに遅かったということでしょう。
馳は越中を18分10秒、ノーザンライト・スープレックスホールド(北斗原爆固め)で破りIWGPヘビー級王座を防衛、山田とドン・ナカヤ・ニールセンの異種格闘技戦は4R1分3秒、ニールセンがレフェリーストップ勝ちに終わっています。
全日本プロレスの3月27日、日本武道館大会が11,500人発表ですが1か月以上間隔が空いておりニアミス興行にはならず比較対象にははならないと思われます。
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